一音九九楽

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いちおんくくらく★ひとつの音からたくさんの楽しいこと

「森山良子」版がオリジナルだった!「コクリコ坂から」の主題歌「さよならの夏」、「手嶌葵」版と聴き比べ

 

ジブリ映画の「コクリコ坂から」は、横浜山手、山下公園あたりを舞台にした、「松崎海(まつざきうみ)(メル)」と「風間俊(かざましゅん)」のノスタルジーと詩情にあふれた恋バナアニメですが、その映画のトーンを決定付けているのは、とても印象的な主題歌ですね。

手嶌葵(てしまあおい)さんのささやくような、素人感あふれる、あえて声を張らないみずみずしい歌声は、この「コクリコ坂から」の主人公たちの世代である高校生っぽさをよく出していると思います。

 

「手嶌葵」版「さよならの夏」

www.youtube.com

 

さよならの夏~コクリコ坂から~

さよならの夏~コクリコ坂から~

  • 手嶌葵
  • ヴォーカル
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

私はこの歌はてっきりこの映画のオリジナルだとばかり思い込んでいました。

それくらい、この映画の雰囲気にピッタリの歌なのです。

作詞は、「すみれ色の涙」などの「万里村ゆき子(まりむらゆきこ)」、

作曲は、「さよならをするために」などの、「坂田晃一(さかたこういち)」。

歌詞はこちらです。

www.uta-net.com

この曲のいろいろなバージョンを探してネットサーフィンしている時に、たまたまこの曲を森山良子さんが歌っているYouTubeを見つけて、聞いてみました。

これがまた良いのですね。

大人の女声のしっとりした情感が感じられて、これはこれでいいなあ!と思ったのでした。

歌詞は2番を飛ばして、1番と3番だけなので残念ですが。

「森山良子」版「さよならの夏」

www.youtube.com

 

さよならの夏

さよならの夏

  • 森山良子
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

「森山良子」版の方が原曲だった

森山良子さんもカバーするくらいいい歌だ、ってことだね〜、と思っていたら、なんと、実は森山良子さん版のほうがオリジナル版だということを知りました。

よみうりテレビで1976年に放送された「さよならの夏」というメロドラマの主題歌でした。

2番が聞けないのが残念ですね。

と思っていたら、2番は「コクリコ坂から」のために、万里村ゆき子さんが新しく作詞したのだそうです。

そうなると、それはさらに残念です。

「コクリコ坂から」での主人公「海(メル)」の母親の名前が「良子」なのは、森山良子さんに対するリスペクトなのかもしれません。

 

主人公の呼び名が「メル」な理由

なお、主人公は「海」という名前なのに、なぜ、あだ名は「メル」と呼ばれているかと言うと、「海」はフランス語で「ラ・メール(La Mer)」なので、「メール」を縮めて「メル」というわけです。

ちなみに、フランス語では「母」のことも「メール」(mère)と言い、スペルは違いますが全く同じ発音の言葉です。

そして、日本語でも「海」の文字の中に、よく見ると「母」の文字が入っていますね。「海」は世界的に「母」のイメージなのでしょうか。

また、「コクリコ坂から」の「コクリコ」もフランス語で、"Coquelico" と書き 、日本語で「ひなげし」のことです。英語では「ポピー」ですね。

「コクリコ」=ひなげし=ポピー

「コクリコ荘」のある「コクリコ坂」に、ひなげしが咲いているのが、その名前の由来です。

写真の三人と、「風間俊」の関係は?

「メル」が持っている写真と「風間俊」が持っている写真が同じであることから、二人は兄妹ではないのか?という疑惑が持ち上がります。

兄妹なら結婚できない!と、ひと騒動あるわけですが、このあたりの人間関係が、私にはさっぱり分かりませんでした。

もちろん、映画の中で説明されるのですが、私は、親族関係のしくみ、相関関係についての読解力が全くないのです。

例えば、「母親のいとこが」と言われたら、そこでもう頭が着いて行けません。「え?すでに分かんないんですけど〜。」とカエルの目になってしまいますので、主人公をめぐる人間関係も、なんだかよくわからないままでした。

そこで、真相を解明すべく、今回じっくり整理してみました。

写真に写っている三人

まず、「松崎海(メル)」と「風間俊」が持っている同じ写真には友人同士の三人が写っています。

向かって右から、

●「澤村雄一郎(さわむらゆういちろう)」

「松崎海(メル)」の実の父親。なぜ実の父親なのに母親の「松崎良子」と姓が違うのか。ここも私にとっては混乱の原因でした。

今で言う「夫婦別姓」なのか、戸籍上は結婚していない、いわゆる「内縁関係」なのか分かりませんが、「澤村雄一郎」と「松崎良子」の間に生まれた実際の子どもが「松崎海(メル)」なのですね。

「澤村雄一郎」は早くに、朝鮮戦争当時に乗り組んでいた船が機雷に触れて亡くなりました。「メル」が毎朝「信号旗」を上げているのは父親「澤村雄一郎」のことを偲んでいるから。

UW信号旗「安全な航海を」の意味
●「立花洋(たちばなひろし)」

「風間俊」の、実の父親。
なので、本来なら「風間俊」は「立花俊」という名前なのです。

「立花洋」は事故で亡くなってしまっています。母親も「俊」が生まれてすぐに亡くなり、ひとり残された赤ん坊の「俊」には親類もいなくて天涯孤独、引き取り手がないので、友人であった「澤村雄一郎」が引き取って自分の戸籍に入れます。

つまり、「立花俊」が、戸籍上「澤村俊」になったわけです。

ところが、「俊」を「澤村雄一郎」の家庭で引き取ったは良いのですが、実はそのとき「澤村雄一郎」の奥さん「松崎良子」も「松崎海(メル)」がお腹にいて身重なのでした。

赤ん坊二人の面倒は見きれないという事情から、「澤村雄一郎」は写真に写っている友人三人組ではない第四の友人「風間明夫」に、赤ん坊の「澤村俊」を養子という形で託します。

そのとき、戸籍は「澤村雄一郎の子ども」のままにしていたのが混乱のもとで、その戸籍を見れば当然、「風間俊」と「松崎海」は実の兄妹だとしか思えないでしょうね。

実際、「風間明夫」つまり「風間俊」の養父も、「風間俊」が「澤村雄一郎の子ども」だと思っていたわけです。

ややこしや〜。

●「小野寺善雄(おのでらゆきお)」

この人は、一緒に写真に写っている「澤村雄一郎」「立花洋」の友人ではありますが、人間関係には立ち入っておらず、ストーリー上の役割としては、立場的に友人全員の近くにいたので、「俊」をめぐる事実関係を知っており、客観的な歴史的事実を証言をする人、という設定ですね。

小野寺善雄

第四の友人、「風間明雄」(かざまあきお)

そして、三人組の写真には写っていなくて、重要な登場人物が、第四の友人、タグボートの「風間明雄(かざまあきお)」です。

この人が「風間俊」の、育ての親。

「風間明雄」と、彼の奥さんとの間には自分たちの本当の赤ん坊が生まれたものの、すぐに亡くなってしまったばかりで、ちょうどお乳も出るタイミングだったということもあり、みなしごである「風間俊」は、すんなり養子として受け入れられました。

「風間明雄」自身も「澤村雄一郎」から預かった「風間俊」は「澤村雄一郎」の子どもだと思いこんでいるので、これも話を複雑にしています。

 

もう1回整理すると、

松崎海澤村雄一郎の実の子どもである。

風間俊立花洋の実の子どもである。

澤村雄一郎風間俊を自分の戸籍に入れて、籍を抜かないまま風間明雄に養子に出した。

風間明雄澤村雄一郎から預かった風間俊澤村雄一郎の子どもであると思いこんでいた。

 

こうやって書き出してみて、私もようやく「風間俊」の波乱万丈の軌跡の全貌が分かりました。「松崎海」と「風間俊」の間の、お互いに実の兄妹ではないか、という誤解の理由も分かりました。

そして「松崎海」と「風間俊」の血はつながっていなかったので、恋仲になっても問題ない、ということも分かりました。

しかし、映画のストーリーとしては、もうちょっと分かりやすく単純化しても良かったような気もしますね。

私にはこの人間関係は複雑過ぎて、映画を一回見ただけでは因果関係がさっぱり分かりませんでした。

なので、映画の評価としては、主題歌は抜群に良いし、絵も詩情あふれるものだし、主人公同士でひっかかっていた誤解も解けたようなので、よかったよかった、まあまあ、いい映画なのではないでしょうか、と、いささか情緒的な、あやふやな評価にとどまっていたのです。

予習して見たほうが分かりやすいかも

今回調べてみて、このへんの複雑な事情がようやくはっきりしましたので、この構造を頭に入れておけば、今度見るときには素直に感動できると思います。次回テレビ放映されるのが楽しみです。

しかし、今回いろいろ調べた時に、理事長の声が「昆虫すごいZ(ゼット)」の「カマキリ先生」だということが分かったので、これはまた違う意味での複雑さが生まれることになってしまいましたね。

 

ducksfly.hatenablog.com

 

徳丸理事長

今回のお話

今回ご紹介したのは、「コクリコ坂から」の主題歌、手嶌葵さんの「さよならの夏」のオリジナル版は、森山良子さんによるものだった、ということ。

それに、お互いに兄妹同士ではないかという疑惑が生まれた、主人公「松崎海(メル)」と「風間俊」との関係は、謎解き、解読した結果、お互いに実の兄妹ではなく、血が繋がっていなかったので、恋仲になっても問題なかった、ということでした。