「これ、大阪王将ちゃうやろ」
餃子のCMにバッハ、珍しい組み合わせですが、なぜバッハなのかを調べて行くと、奥深い事情も見えてきました。
現在のCMは「忘れられない男」編
現在のCMはこちらです。音楽は「フランツ・ゴードン」の「Bagatelle En Mineur」
大阪王将「忘れられない男」篇 羽根つき餃子+スタミナ肉餃子
その前のCMはこちらです。メイキング映像も見られますが、こちらではバッハは流れません。
かなり可笑しいですが、このCMの前の前はこちらのCMでした。こちらもメイキング映像つきです。
大阪王将のCM。
こちらでは、香里奈さんの、遠慮なく物を言う「大阪のおばちゃん」っぽいノリが笑いを誘います。
「フタがいらない」「油がハネない」という商品の特徴をしっかり伝えることに成功しています。
餃子パーティーにお呼ばれして、おともだちと一緒に調理中の餃子鍋を囲んだ香里奈さん。ちなみに、香里奈さんは名古屋出身なので、おともだち役の大阪出身の役者さんに大阪弁を教えてもらいながら演じています。
香里奈さん「これ、大阪王将の羽つき餃子、ちゃうやろ」
おともだち「なんで?」
香里奈さん「大阪王将はフタがいらん。しかも、油がハネへん」
と言いながらフタを開けると、ちょうど油がハネて香里奈さんの腕に飛んだ様子。
香里奈さん「アッチェッッッ!、、、大阪王将ちゃうからだ。あっつっっっ!」
と、今、目の前にある餃子は、フタが必要で、しかも油が跳ねる、ということを示して、ことさらに「大阪王将」とちがう、ということを強調しているように聞こえますね。
このやり取りのあとで、
フタいらず、
油がハネない。
大阪王将
羽根つき餃子。
と、「ハネ」と「羽根」で韻を踏んでいるような言葉のバックに流れる曲が、バッハの教会カンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」という格調高い音楽なのです。
コラール合唱『イエスは変わらざるわが喜び』(主よ、人の望みの喜びよ)
www.youtube.comJ.S.Bach - ”Jesus bleibet meine Freude" - BWV147 - Harnoncourt
「大阪王将」と「餃子の王将」は違うメーカー
実は「大阪王将」は、「餃子の王将」の創業者の親戚が、1969年「餃子の王将」から「のれん分け」させてもらって独立した会社なのでした。
つまり、このCMは、「餃子の王将」と「大阪王将」は別のメーカーである、ということを強調しているとも言えます。
私も、今回調べてみるまで、「餃子の王将」と「大阪王将」は同じ会社だと思ってましたが、「のれん分け」という経緯はあるものの、実は資本関係もなければ、業務提携関係にもない全くの別会社なのでした。
ところが、のれん分けしてもらった「大阪王将」が発展して本家「餃子の王将」と出店をめぐってかち合うほどになり、現在は解決していますが、店名の商標権で争うほどの関係になったのでした。
そういう事情があるので、お互い競合意識というのは出てきますね。
とは言うものの、やっぱり似た者同士で、CMもちょっと前までは両者とも「関西コテコテ」路線のCMでした。
「大阪王将」のCMは
こちらは現在の「大阪王将」のCMが見られる公式チャンネルです。
「餃子の王将」のCMは
こちらは現在と過去の「餃子の王将」のCMが見られる公式チャンネルです。
両社の、いろいろなCMを見比べてみると、本家「餃子の王将」 の方の「関西コテコテ」感が目立ちます。
「二人の銀座」というデュエット曲をもじって「二人の餃子」にするなど(「ぎんざ」と「ぎょうざ」で、語呂を合わせてるんですね)、ちょっと濃い目の、「関西ノリ」という面が強いですね。
一方、のれん分け独立の「大阪王将」の方のCMを見てみると、関西コテコテ感がちょっと薄い感じがします。
が、実は、この香里奈さんの前に7年間CMに出演していた鈴木奈々さんのバージョンで、「餃子の王将」の上を行く「関西コテコテ」なCMがあり、視聴者からのクレームが多発するほどだったのです。
しかも、面白いことに、その時のクレームが当の「大阪王将」にではなく「餃子の王将」の方に殺到した、というのですね。
つまり、そんな「コテコテ」すぎるCMを作るのは、いつも「コテコテ」なイメージの「餃子の王将」にちがいない、と思われる素地があったわけです。
あまりのクレームに、「餃子の王将」の方では「あのCMは、うちじゃありませんよ」という釈明文まで出す騒ぎになりました。
イメージ一新
そんなこんなで「大阪王将」は「関西コテコテ」イメージを一新しようと、イメージキャラクターもそれまでの鈴木奈々さんから香里奈さんにバトンタッチ。
CM曲にもバッハなど採用して、これからは「関西コテコテ」系から、「格調高い」系にイメージチェンジ。
そうすることによって、本家「餃子の王将」との差別化を図る、という決意の表れかもしれません。
ぎょうざは「人の望みの喜び」である
それにしても、バッハにも色々な曲がある中で、なぜ「主よ、人の望みの喜びよ」なのか、を考えてみました。
ご紹介した映像の画面には「主よ、人の望みの喜びよ」の歌詞が出てきます。
「主」というのはこの世界の至高の存在です。
いっぽう、将棋の世界では「王将」が至高の存在です。これ以上偉い存在はいません。
そこで、試しに「主」という言葉を「王将」と置き換えてみました。
まずタイトルですが、「王将よ、人の望みの喜びよ」となります。
王将ファンにとっては、王将の餃子を食べたいという望みを持つこと、その事自体がすでにもう喜びなのかも知れません。
そう思って歌詞の「主」と「イエス」をいちいち「王将」あるいはいっそのこと「ぎょうざ」に置き換えてみると、不思議に意味が通るのが面白いですね。
今回のお話
今回は「大阪王将」のCMにバッハの教会カンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」が使われているのはなぜか、を探ってみたら、日本の餃子界におけるこれまでの歴史と、進化の様子が垣間見えた、というお話でした。
心機一転の「大阪王将」がどんな進化をするかも興味深いですし、本家であり老舗の「餃子の王将」はそれをどう受けて立つかも見どころですね。
なお、バッハの教会カンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」の歌詞およびタイトルの、「主」「イエス」という言葉を「ぎょうざ」に置き換えてみると、とても優れたCMソングになっていることを発見したのですが、考えてみると、賛美歌というものが、そもそも、神さまのCMソングなのかも知れない、と、ふと思いました。