ダブルボーカルの化学反応
ボーカルが一人ひとり、それぞれが別々で歌っていては出せないミラクルが、コーラスによって生まれます。
リレーやチームプレーに似ています。音楽はスポーツかもしれません。
雨のバラード「湯原昌幸(ゆはらまさゆき)」版
「雨のバラード」は湯原昌幸さんの歌でご存知の方が多いと思います。どちらかと言うと、センチメンタルで、しっとりした感受性の人だと思います。
この歌の作詞作曲は「スウィング・ウエスト」初代メンバーの「植田嘉靖(うえだよしやす)」という人です。湯原昌幸さんも元は「スウィング・ウエスト」メンバーで「簗瀬(やなせ)トオル」という人とのダブルボーカルでした。
雨のバラード「簗瀬(やなせ)トオル」版
簗瀬(やなせ)トオルさん単独による歌もあります。
こちらは湯原昌幸さんとは対称的に直情的でストレート、発声的にも素直な感情を出すタイプだと思います。
この二人がダブルボーカルだったのですから、スウィング・ウエスト版は最強ですね。
雨のバラード「スウィング・ウエスト」版
お二人とも歌は上手いのですが、それぞれが単独でなく、お二人でダブルボーカルになることによって、それ以上の素晴らしい効果が生まれています。
いわゆる「化学反応」が起こっていたと思います。
ビートルズのジョンとポールのハモりのような感じでしょうか。
最強のハモり
歌い出しから、お二人はハモります。簗瀬トオルさんは安定した高音パート。湯原昌幸さんはそこから離れて行くしっとりとした下降音階。このへんはビートルズの「Please Please Me」を思い出させます。
湯原昌幸さんの情緒的な声が効いて、聞く人を雨の中の情感にどっぷりとひたして行きます。簗瀬トオルさんは高音パートでハモりながら寄り添います。
そんなしみじみとした情感が高まったところで、一転、ドラムの「どですかどですか」のノリノリドラミングのあと「なーもしらーぬ」からのサビでのお二人のハーモニーは絶品です。ここからが「化学反応」です。
ここでは、簗瀬トオルさんの情熱的な高音パートが大活躍します。湯原昌幸さんはそれを、しっとり感を保ったままずっと下支え、裏打ちして行きます。
ここのハーモニーはとても美しい。一人ひとりでは出せない、お二人のダブルボーカルだからこその奇跡的な声の色がきらめきます。
サビでの感情のほとばしり
お二人の「しっとり」と「ストレート」、質の違う硬軟両様の声が美しいハーモニーとなり、それはそれは気持ちよくからみ合って、曲はどんどん盛り上がって行きます。
そして最後の「あめが〜けして〜」から「硬派」簗瀬トオルさんの高音がソロとなり、サビの最後の「とおい〜」で、直情的な、つんのめるような、胸いっぱいの想いがほとばしります。
それほどの感情のほとばしりが、すぐにしっとりとした感じに自然に戻って、すんなり2番に入って行けるのは、やはり「軟派」湯原昌幸さんの存在があるから、だと思います。
このへんがソロには出来ない、コーラスハーモニーならではの美しさとダイナミックさだと思います。
演奏も最強
この「とおい〜」の魂の叫び、「と」を聞くためだけでも、この曲のスウィング・ウエスト版を聞く価値はありますが、もう一つ、スウィング・ウエスト版は演奏も素晴らしいですね。
特にベースとドラムスによる、重低音の迫力とドライブ感は気持ちの良いものです。なかでも「どですかドラム」の聞かせどころは、サビに入る直前の「だだだだどですかドカドカデンデン!」という16分音符の連打ですね。
聞く方としては「来た来た来た来た〜〜〜」と、これから始まる感情の奔流に乗るための、ジャンプ体勢に入るところです。
なぜ「スウィング・ウエスト」?
演奏が素晴らしい、については、このバンドの成り立ちが関係しています。
「スウィング・ウエスト」という名前は、米国大統領選挙の「スイングステート」ではありませんが、アメリカと関係があります。
「ウエスト」というのはアメリカの西部を表していて、そこで流行っていたバンジョーやバイオリン、スチールギターやハーモニカを使う「カントリー」や「ウエスタン」の流れを引く、つまり「ウエスタンミュージック」から来ています。
ウエスタンの中でも、テンポの速い、スイング感のある音楽を目指したのですね。
ウエスタンは流行の先端だった
1950年代はちょっと西洋っぽい、シャレたポピュラー音楽、「ナウい」音楽というと、スチールギターを使ったウエスタンとかカントリーとかハワイアンくらいしかなかったのです。
あとは民謡か、義太夫、講談、コテコテの歌謡曲などがエンターテイメントの主流でしたね。日本人には西洋音楽のリズムはムリ、という悲観的な意見が、ポップス志向の人々の中でさえささやかれていたものです。
スウィング・ウエストがウェスタンカーニバルを始めた
日劇ウエスタンカーニバルはタイガースなどのグループサウンズの聖地になりましたが、元々はウエスタンバンドのお祭りでした。
その日劇ウエスタンカーニバルを始めたのは、何と、このスウィング・ウエストを結成して、自身もメンバーであった堀威夫さん(後のホリプロ代表)と「ナベプロ」として知られた渡辺プロダクションの渡辺美佐さんだったのです。
スウィング・ウエストの1957年の初代メンバー。
今見るとびっくりな、ビッグなメンバーです。
- 堀威夫「ほりたけお」(バンドリーダー、のちに「ホリプロ」社長)
- 佐川ミツオ「さがわみつお」(ボーカル、のちに「今は幸せかい」)
- 守屋浩「もりやひろし」(ボーカル、のちに「僕は泣いちっち」)
- 田邊昭知「たなべしょうじ」(ドラムス、のちに「スパイダース」ドラムス、「田辺エージェンシー」社長)
- 寺本圭一「てらもとけいいち」(ボーカル、のちに「ヴィレッジ・シンガーズ」のデビューに関わる)
- 清野太郎「きよのたろう」(ボーカル)
- 喜多村次郎「きたむらじろう」(サイドギター、のちに「カーナビーツ」に参加)
- 植田嘉靖「うえだよしやす」(ギター、「雨のバラード作詞作曲」)
日本のポップス界を率いた、そうそうたるメンバーですね。
実際には十数人のグループだったようです。
ですから、この「雨のバラード」は、日本のポップス界の総力を上げて取り組んだ、歴史的集大成な曲である、と言っても過言ではありません。
今回のお話
今回は、スウィング・ウエスト「雨のバラード」の魅力の秘密を探っていたら、思いがけなく、日本のポップスの源流にまでたどり着いてしまった、というお話でした。