一音九九楽

一音九九楽

いちおんくくらく★ひとつの音からたくさんの楽しいこと

合唱曲の「心の瞳」は、坂本九の曲だった

サントリー天然水のCM曲は「心の瞳」

サントリー天然水のCMに流れている合唱曲が話題になっています。

曲名は「心の瞳」、歌っているのは、大妻中野中学校・高等学校の合唱部の皆さんです。

このCMの「生命」編で父親役をやっているのは柄本佑(えもとたすく)さん、ナレーターの安藤サクラさんは柄本佑さんの奥さんです。

CMで歌われている歌詞は、「心の瞳」のうちの一部を再構成したものです。

サントリー天然水『水の山から/水源』篇 60秒

youtu.be

心の瞳で
君を見つめれば
愛すること それが
どんなことだか
わかりかけてきた

愛のすべて
時の歩み
いつも そばで
わかち合える

たとえ あしたが
少しずつ
見えてきても
それは 生きてきた
足あとが あるからさ

 

「心の瞳」より

ナレーター:安藤サクラ
使用楽曲名:心の瞳
歌手・演奏者:大妻中野中学校・高等学校 合唱部

サントリー天然水『水の山から/生命』篇 60秒

youtu.be

心の瞳で
君を見つめれば
愛すること それが
どんなことだか
わかりかけてきた

愛のすべて
時の歩み
いつも そばで
わかち合える

たとえ あしたが
少しずつ
見えてきても
それは 生きてきた
足あとが あるからさ

 

「心の瞳」より

出演者:柄本佑
ナレーター:安藤サクラ
使用楽曲名:心の瞳
歌手・演奏者:大妻中野中学校・高等学校 合唱部
 

柄本佑、父親役を好演 安藤サクラがナレーション CM楽曲は「心の瞳」 「サントリー天然水」新CM+メーキング

こちらはCMの撮影の様子、並びにインタビュー映像付きです。

youtu.be

父親役、柄本佑さんの息子役の5歳の「さんちゃん」は、2年前の同社CMでも柄本佑さんと共演しているんですね。

ducksfly.hatenablog.com

洗足学園音楽大学・合唱曲「心の瞳」

こちらはCMで歌っている「大妻中野中学校・高等学校の合唱部」版ではなく、混声3部合唱で歌われる「洗足学園音楽大学」版のパフォーマンスです。

youtu.be

「心の瞳」は、坂本九の曲だった

合唱曲のスタンダードとなっている「心の瞳」(こころのひとみ)は、もともとは「上を向いて歩こう」などのヒット曲で知られる「坂本九」の楽曲です。

レコード会社社長と、作詞の「荒木とよひさ」、作曲の「三木たかし」と「坂本九」本人の4人で「坂本九らしいオリジナル曲が出来ないか」と話し合って出来た曲。

坂本九さんは自分の奥さんへの気持ちが歌われているので、喜んだそうです。

ただ、1985年5月のレコード発売後はコンサートで歌われる機会はなく、飛行機事故に遭った1985年8月12日当日に、NHK505スタジオで収録された公開録音『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』(9月1日放送)で歌ったのが最後のパフォーマンスとなりました。

そして、まさにその9月1日放送の『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』をカセットに録音しながら聴いていたのが、千葉県の中学校の音楽教師、「長谷川剛」でした。

彼は「歌に不思議な力がある。子どもたちに歌わせたい」と、カセットに録音した音源を元に合唱曲として編曲、授業や行事で生徒たちに歌わせました。

それが評判になって徐々に周囲に広がって行き、とうとう中学校の音楽の教科書に載るまでになったのです。

坂本九「心の瞳」歌詞

歌詞のうち、CMで歌われている歌詞の色を変えてあります。

youtu.be

「心の瞳」

緑字は、CMで使われている歌詞です。

心の瞳で
君を見つめれば
愛すること それが
どんなことだか
わかりかけてきた

言葉で言えない
胸の暖かさ
遠まわりをしてた
人生だけど

君だけが いまでは
愛のすべて
時の歩み
いつも そばで
わかち合える


たとえ あしたが
少しずつ
見えてきても
それは 生きてきた
足あとが あるからさ

いつか 若さを失くしても
心だけは
決して 変らない絆で
結ばれてる

 

夢のまた夢を
人は見てるけど
愛することだけは
いつの時代も
永遠(とわ)のものだから

長い年月を
歩き疲れたら
微笑なげかけて
手をさしのべて
いたわり合えたら
愛の深さ
時の重さ
何も言わず わかり合える


たとえ 過去(きのう)を
懐しみ ふり向いても
それは 歩いてた
人生が あるだけさ

いつか 若さを失くしても
心だけは
決して 変らない絆で
結ばれてる


愛すること それが
どんなことだか
わかりかけてきた
愛のすべて
時の歩み
いつも そばで
わかち合える


心の瞳で
君を見つめれば

 

作詞:荒木とよひさ
作曲:三木たかし

 

ご家族バージョン

この曲を三部合唱に編曲した、千葉県の中学校の音楽教師、長谷川剛さんが卒業式で生徒たちに歌わせた合唱曲を、出席していた保護者の一人が録音していました。

その録音テープを坂本九の奥さんである柏木由紀子さんに送った事で、柏木由紀子さんはいち早く三部合唱の存在を知ることになりました。
こちらの映像は、のちにご家族3人で坂本九さんの声に合わせてバックコーラスをレコーディングしたバージョンの一部です。

坂本九 feat. 柏木由紀子(奥さん)・大島花子(長女)・舞坂ゆき子(次女)「心の瞳」(コーラス入り・ショートバージョン)

youtu.be

今回のお話

今回は、合唱曲「心の瞳」は、創唱者「坂本九」の遺作となった曲で、偶然が重なって合唱曲のスタンダード曲になった、というお話でした。

坂本九さんの深い「思い」が、どこかに通じたんでしょうね。

 

私はこの曲は初めて聴きました。私が学生の頃、深夜放送を聴いていたら、パーソナリティの「永六輔」さん(「上を向いて歩こう」の作詞者)が番組内で坂本九さんに電話をして、「もっと弾けろ」みたいな事を言ったのですが、坂本九さんは常識的で真面目な返事をしたんですね。それに対して永さんは「そういうところが君はダメなんだよ」と怒ってましたが、こんな「心の瞳」のような曲を聴くと、坂本九さんは、本心から常識的で真面目な人だったんだな、と納得します。

「傷だらけの天使」オープニングでショーケンが食べていたのは「コンビーフ」だった

現在、杉咲花さんの出演で、こんなCMが流れています。

サントリージン翠(SUI)『晩メシソーダ生姜焼き』篇 15秒 杉咲花

youtu.be

杉咲花さんが、豪快に飲んだり食べたりしていますね。なかなかワイルドな食べっぷり、飲みっぷりだと思います。

さて、このCMのバックに流れている音楽、ある程度以上の年齢の方は懐かしく思われるでしょう。

1974年から1975年にかけて、26週にわたって日本テレビ系で放送された、表社会、裏社会に関わる探偵ドラマ「傷だらけの天使」のオープニングテーマ曲です。

そのオープニング映像が、「ショーケン」によるワイルドな「食事」の映像だったので、杉咲花さんのCMも、そこからの連想によるCMだと思われます。

傷だらけの天使オープニング

「傷だらけの天使」のオープニングでは、ショーケンが朝起きてから朝食までの様子を撮っています。

これは最終回の映像ですね。

最後にショーケンが空のリヤカーを引っ張ってますが、それについては後ほど。

傷だらけの天使オープニング・マル秘編集編960x720

youtu.be

トマトに塩で丸かじり、リッツ(ビスケット)一枚を口に放り込み、魚肉ソーセージの包装を噛み破って、牛乳の紙のフタを歯で開ける、というワイルドなものですが、その他に途中でかじっているものが何だか、当時の私にはわかりませんでした。

かじっているのは「コンビーフ」

かなり後になって、それが「コンビーフ」というものだという事を知りました。少なくとも我が家では全く食卓に上がったこともなく、見たことも聞いたこともないものだったので、へえ〜時代の先端を行ってたんだなあ、と感心しました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Canned_corned_beef_20201018_085443.jpg

野崎のコンビーフ

ドラマ中のファッションも、デザイナー菊池武夫とMEN'S BIGIによるものだったそうなので、当時の「カッコいい系」も取り入れていたんですね。

オープニング映像は、もともとは無かったのですが、スポンサーの意向で、急遽撮影することになり、朝起きて、朝食を食べているだけの映像を萩原健一のアドリブで好きなようにやってもらったそうです。

トマトに塩、それに牛乳、何だかワイルドでカッコいいなあと、私も真似したものです。

映像は、ショーケンが「ガンを飛ばす」ようにカメラ目線になったところでストップモーションになっていますが、実際にはこの後、牛乳をカメラにぶちまけたそうです。

その白い画面にタイトルを入れるつもりだったのが、「食べ物を粗末にするんじゃない!」というスポンサーの意向で、それはボツになったとのこと。

悪徳探偵事務所の社員役

「傷だらけの天使」の主役である、グループ・サウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカル「ショーケン」こと萩原健一の役どころはどんなものかというと、「エンジェル(=天使!)ビル」の屋上にあるペントハウス「エンジェルハウス」に住んでいる小暮 修(こぐれ おさむ)という若者を演じています。

上の画像で、前列左が「オサム」役の萩原健一、右が「アキラ」役の水谷豊、後列左が探偵事務所トップの「綾部貴子」役の岸田今日子、右は綾部の片腕「辰巳五郎」役の岸田森(しん)

「オサム」は、汚れ仕事も請け負うかなり胡散臭い探偵事務所「綾部情報社」の社員で、同じく同居している社員の、現在はテレビドラマ「相棒」でのオールバックの渋い刑事役で知られる「水谷 豊」が演じる、ポマードコテコテリーゼントの乾 亨(いぬい あきら)と共に、事務所が請け負って来た色々な事件に関わります。

「アキラ」が「オサム」に「アニキ〜〜〜」と甘えるのが、お決まりのパフォーマンスでした。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/60/%E4%BB%A3%E3%80%85%E6%9C%A8%E4%BC%9A%E9%A4%A8.jpg

撮影場所は、「エンジェルビル」こと「代々木会館」屋上のペントハウス(写真は2004年)です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/29/Yoyogi-Kaikan-Building-02.jpg

これは廃ビルになった状態の「代々木会館」。2020年に解体されました。後ろに見えるのは、山手線などの路線を挟んだ向こう側にあるドコモタワーです。

そのドコモタワーの足元、写真右端に見えているビルと「代々木会館」の間に見えている木造屋根付きの建造物は、JR山手線と総武線、中央線の代々木駅ホームです。写真右端のビルのさらに隣の隣が、代々木駅西口改札口になります。

代々木会館は「天気の子」にも登場

この雑居ビルは、新海誠監督のアニメ映画『天気の子』(2019年)にも登場しています。天からの光がちょうどこの廃ビルの屋上を照らす場面があります。主人公が超能力を得る屋上の神社は新海誠監督の創作で、実際にはありませんでした。

youtu.be新海監督も『傷だらけの天使』へのオマージュを込めて描いたと言われています。

オープニングテーマは井上堯之バンド

さて、この特徴的なオープニングテーマ曲は、元「ザ・スパイダーズ」のリードギター井上堯之(たかゆき)率いる「井上堯之バンド」の演奏によるもの。

作曲・編曲は、やはり元「ザ・スパイダーズ」でキーボード担当の大野克夫。

井上堯之バンドとは

グループ・サウンズブームが終わり、「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」「ザ・スパイダーズ」の三つのバンドが、共に1970年に解散したのを機に、各バンドから2人ずつのメンバーが集まって「PYG」というバンドを作りました。

「ザ・タイガース」からボーカル沢田研二とベース岸辺修三(おさみ)(現・一徳)、「ザ・テンプターズ」からボーカル萩原健一とドラム大口広司(ひろし)、「ザ・スパイダーズ」からリードギター井上堯之(たかゆき)とキーボード担当の大野克夫。

 

「PYG」メンバーはフレキシブルでしたが、岸辺修三と萩原健一は役者として活躍するようになり、沢田研二はソロ活動が増え、大口広司も脱退したので、のちの「ゴダイゴ」でドラム担当することになる原田裕臣(ゆうじん)などを加えて井上堯之バンドが出来ました。

やはり大野克夫の作曲・編曲で井上堯之バンドが演奏した「太陽にほえろ!」のテーマもヒットしました。

最終回のリヤカー

最終回、映像に映っているのは、空のリヤカーを引っ張りながら走っているショーケンです。

胡散臭い探偵事務所が、とうとう存続不能な状態に陥って、事務所解散という事態になり、ショーケンは事務所の上役に海外逃亡、いわゆる「高跳び」に誘われますが、なぜか別行動を取ります。

この時ちょうど、水谷豊が風邪をこじらせてしまい、ショーケンの看病の甲斐もなくあっけなく亡くなってしまいます。

ショーケン演じる「オサム」は、それまでエンジェルビルの屋上で風呂として使っていたドラム缶に、水谷豊演じる「アキラ」の亡骸を入れて、リヤカーに載せて東京都の廃棄物埋め立て場だった「夢の島」までドラム缶のまま捨てに行って、空のリヤカーを引っ張りながら、戻って来るのか、どこかへ行くのか、立ち去る時の映像ですね。

 

今回のお話

今回は、テレビドラマ「傷だらけの天使」のオープニング映像で、主演のショーケンが食べている朝食のメニューのうちの、私が分からなかった一つは「コンビーフ」だったという事が、ようやく分かった、というお話でした。

ちなみに、コンビーフとは、英語で「corned beef(コーンド・ビーフ)」。牛肉を塩漬けにした食品のことです。

これも私は長らく、とうもろこしと牛肉と合わせたものかな、と思い込んでおりました。



コーンは確かに「とうもろこし」なのですが、特にその「つぶつぶ」のことを「corn(コーン)」と言って、つぶつぶの塩のことを意味しているんですね。

なので、つぶつぶの塩「粗塩」で漬けた牛肉、ということになるのでした。

一音だけの違和感が・松山千春「人生(たび)の空から」

 

一音だけ違和感のある演奏

読者登録させて頂いている「ねむいゆめこ」さんのブログ「夢でささやくピアノ」の、「上を向いて歩こう」について書かれた記事の中で、ビージー・アデールさんのジャズアレンジの演奏が紹介されていました。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

記事の中では、ビージー・アデールさんの「上を向いて歩こう」の演奏中、一音だけ違和感を感じる音がある、との記述があります。

「思い出す春の日」はオリジナルでは「ドドドラレ レーレミー🎵」だと思う。

ところが彼女は「ドドドラレ レレレミー🎵」と弾いている。

たしかに、聞いてみると、その「一音」だけ、違和感ありありなんですね。でも、弾いている本人には違和感なく聞こえているのだと思われます。

「人生(たび)の空から」の一音

この記事を読んで、そう言えば私にもそういう曲があるなあ、と思い出したのが、私が聞いてやはり一音だけ違和感を感じる曲、松山千春の「人生(たび)の空から」です。

「人生」と書いて「たび」と読ませるんですね。

人生の空から

youtu.be

生牡蠣に当たる

私が独身時代、池袋「サンシャイン60」ビルの斜向かいのマンションに住んでいたことがありました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Sunshine_City_2012.JPG

会社への通勤路として「サンシャインシティ」の1階、ショッピングモール街の中を突っ切って歩くルートで、地下鉄東京メトロの東池袋駅を使っていました。

「サンシャインシティ」1階、吹き抜けの「噴水広場」では時々、タレントによるパフォーマンスなどのイベントがありました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/21/Sunshine_City_Fountain_Plaza_2016.jpg

それはもう、ずいぶん昔の話なので、もしや現在は東池袋駅と「サンシャイン60」は、地下道で直結してるのかな?と思って調べたら、もうすでに2011年に繋がっていました。

私がいた当時は東池袋駅からは地上を歩くしかなく、その途中、サンシャイン60の前にはスーパー「西友」があったので(今もあります)、帰りにはよく立ち寄って、食材を買い込んでいたものです。

www.seiyu.co.jp

そう言えば、思い出しましたが、ここで初めて生牡蠣を買って食べたら見事に食中毒になって七転八倒、死ぬ思いをしました。

当時の私は「生食用」「加熱用」の区別もついていなかったのです。

スーパー店内に流れるBGM

それはともかく、ここの「西友」では店内放送の音楽として、その時ヒットしている洋楽や邦楽を流していました。

西友は店舗によって個性があるようで、やはり私が読者登録させて頂いている「ごあ」さんの「noname420の名もなき日記」によると、流す音楽も店舗ごとに、それぞれ違うみたいですね。

noname420.hatenablog.com

ある時、その「サンシャイン西友」店の店内放送のBGMで、松山千春の「人生(たび)の空から」が流れているのを聞きました。

スーパーのカゴをぶら下げながら、あ〜いい歌だなあ、そうだよね〜、旅の終わりにもう一度会えたらいいよね〜、などと、思い入れながら聞いていました。

ただ、とても良い曲なのですが、聞いていて、「ん?」と、ちょっと違和感のある音があったのです。

「人生(たび)の空から」歌詞とギターコード

こちらに、歌詞とギターコードが出て来るライブ版の映像があります。

オリジナルのCD版はFm(ヘ短調)なのですが、こちらのライブ弾き語り版では、ギターで弾きやすくするためか、半音下がってEm(ホ短調)になっています。


人生(たび)の空から/松山千春LIVE【弾き語り】(From the sky of life / Chiharu Matsuyama)『時代(とき)をこえて(1981年)』at 東京・日比谷野外音楽堂

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ご紹介した映像中と解説中にも歌詞とギターコードが出て来ますが、いちおう書き出してみます。

(C△7 は CMaj7 です。 A#o は A#dim=構成音はA# , C#, E , G です)

 

【イントロ】
/Am / C7 / Bm7 / C△7 / Bm7 / C△7 / Bm7 / Em

 

(1番)
Em             B7                         
深く耳をすませば  

     Em 
朝一番の 汽笛

 

C  D     G     Em   
街はにわかに    

Am   A#o B7 
ざわ めい て


Em          B7                            
遠い旅の空から   

    Em
君に送る便りは


C  D  G   Em   
力まかせの     

Am   A#o  B7 
なぐり  書き


        C△7    B7   Em 
まわり        道でも   

    C△7     B7   Em   
旅 の    終わり に


   Am          Em        
君にもう一 会え

F#m7/B  B7        Em
   た     ならいいね

 

【間奏】

 C△7 / Bm7 / C△7 / Bm7 / Am7 / D / Em / Em  

 

(2番)

Em                   B7       
いつも怯えていたね  

                    Em 
風の音にふるえて


     C     D   G    Em 
はき出す  言葉は   

  Am   A#o  B7 
ぐち  ば かり


Em                  B7         
君なら良くわかるね  

                       Em
こんな僕の気持が


C  D      G   Em   
今なら 一から   

Am   A#o  B7sus4  B7  
やれ  る  よね

 

         C△7  B7    Em  
まわり        道でも 

    C△7     B7   Em 
 旅 の   終わり に


   Am          Em   
君にもう一 

     F#m7/B  B7        Em 
会え    た     ならいいね

 

(※くりかえし※)

 

【アウトロ】

Em / C△7 / D / C△7 / D / Em9

 

作詞・作曲:松山千春

 

君にもう一です。

このは、千春さんは「B」の音で歌ってらっしゃるようなのですが、それでは私の耳には、期待される音よりどうも音程が半音低いような気がして、違和感があるんですね。

曲を聴きながら盛り上がりかけていた気持ちが、そこで一旦引き戻されてしまって、おっとっと、ありゃりゃ?と冷めるような気がするのです。

ここは半音上の「C」の音で歌った方が、この曲の切ない感情も素直に盛り上がって行って、しっくり来るような気がするのですが、どうでしょう。

今回のお話

今回は、松山千春の「人生(たび)の空から」の曲中の、「君にもう一度」の「度」の音はライブ版ではB」の音、CD版では「C」の音なのだけれど、私としては、ライブ版では半音上の「C」の音、CD版なら「D♭の方が良いような気がする、というお話でした。

でも、そうすると編曲も変わってしまうので、ケンカの強い千春さんに怒られるかも知れないなあ。

最近の A I は、まるで人間のように歌う・「異邦人」での聴き比べ

 

人間と見分け(聞き分け)が付かない AI 歌手

最近の AI は進歩がすごくて、まるで人間が歌っているように歌います。

例えばこれ。

AI版「異邦人」

youtu.be

映像のタイトルに、

異邦人- 久保田早紀(フル)

とありますが、私は、この映像は、Youtubeによくある、有名な曲を「弾いてみた」とか「歌ってみた」の類の、素人の方による映像かと思いました。

まあ、素人ではない「石井竜也」「桑田佳祐」といったプロの歌手も「歌ってみた」をやってますけどね。

その場合は普通に「カバー曲」ということになりますか。

この映像の場合、歌っている声が明らかに久保田早紀さんの声とは違うし、歌詞の「過去からの旅人」の「たびびと」が「てびびと」となっていたり、「石畳の」の「いしだたみ」が「いしだてみ」になっていたりするので、素人の方が歌っているのかな、と思ったのです。にしても何だか変な感じです。

誰が歌っているのかな、と思って解説部分を見ても「Coverd by 誰それ」という、カバーして歌っている方の名前がありません。

これでは、知らない人が見たら、これは今この映像で「異邦人」という曲を歌っている人が「久保田早紀」という名前の人なんだな、と思い込んでしまうんじゃないの?と危惧しました。

実際、コメント欄を見ると、久保田早紀版を聞いたことがある人でも、この歌声が久保田早紀さんの声だと誤認しているケースが多いので、影響は大きいと思います。なにしろ、この記事をアップする時点でなんと「1727万回視聴」ですが、それがどんどん増えているので。

よく聴くと、歌の伴奏も、本物の演奏によるカラオケ、というわけでもなく、再構成したもののように聞こえます。イントロの音程も不安定で落ち着きません。

これは、これが本物のオリジナル版だとは思ってほしくないなあと思いました。

映像に使われている画像も、ラクダの足元が妙に揃っているし、オアシスの画像では水が流れ落ちている水道橋の水源が見当たらなかったりして不自然。

名産品ショップの画像では、壺などの表現が精細で鮮明すぎたりして、どうも生成 AI によるもののように見えますね。

1972年のSF映画「惑星ソラリス」での、「現実そのもの」に見えて、よく見るとどこかにほころびのある「性能の悪い仮想現実」を連想しましたが、そこで、ははあ、この歌が噂に聞く生成 AI というものか!と納得したわけです。

最近の生成 AI の歌とか音楽の能力はすごいんですね。「合成して作りました感」がほとんどなくて、まるで本物の人間が歌っているように聞こえます。

YouTubeでの、この動画の解説部分で紹介されているリンクのたくさんの曲も、全部聴いたわけではありませんが、どうやらどれもこれも生成 AI によって作られたもののようです。

オリジナル版「異邦人」

youtu.be

一方、こちらは本物です。(...と思います)

この映像は色々なスタジオでのライブ映像を組み合わせたもののようですが、音楽はオリジナルの音源を使って、口の動きと合わせてますね。

曲を聴いてみると、やはり本物は本物、聞いていて気持ち良い、と思います。

そして、下にご紹介するのは、「試し聞き」用なので、聞けるのは曲の一部分だけなのですが、AppleのiTunesなので、真正の本物です。

異邦人

異邦人

  • 久保田 早紀
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

なお、オリジナル曲の音源中でピアノを弾いているのは、テレビでもよくお見かけした羽田健太郎(はねだけんたろう)さん。

ちなみに、羽田さんが弾いているピアノは他にも、渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」沢田研二の「勝手にしやがれ」、山口百恵「秋桜」、小坂明子「あなた」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、中島みゆき「時代」などでも聞けます。

と言っているうちに、いろいろ見つけました。

「AI」による色々な「異邦人」

探してみると、ネット上にはジャズふうロカビリーふうヘビメタみたい版英語版フォルクローレふうなど、ありとあらゆるアレンジが AI で自由自在に作られて発表されてるんですね。

でもまあ、この辺の曲については、聞いた人が「これは本物だ」と誤解するような作り方ではなく、正面から、「これは AI によるものです」、と名乗っているので、これはこれで、なかなか面白いアプローチだと思います。

クラシック曲と「AI」

同じ音楽分野で、クラシック曲、特にバロックなどは「AI」にとっては大得意分野だろうと思います。なにせ楽譜があるので、サンプリングした楽器の音色で楽譜のままに演奏させれば、完璧な演奏になるでしょうから。

ジャズと「AI」


私はジャズについては全くの門外漢なので、ほぼ知識がありません。

と言って、他の音楽なら知ってるのか、と言われると全くそうではないのですが。

ジャズは全体が32小節と決まっていて、コード進行に従っていれば、元のメロディーに従う必要はなく、むしろ元のメロディーを崩す方が良い、自由に演奏して良いのだ、という認識ですが、それが間違っていなければ、これも「AI」にはやりやすい分野だろうと思います。

過去の名演奏からの違うフレーズの組み合わせを、「乱数」的に、どんどん作り出せるでしょうから。

今回のお話

今回のお話は、最近の生成 AI の能力は凄まじい発展ぶりで、歌の分野では、まるで本物の人間のように歌える、というお話でした。

ふと思いましたが、「サザンオールスターズ」や「中島みゆき」などは、かなり以前から、公式音源や映像を惜しげもなく公開していますが、こういった本物のフリをしたフェイク音源に市場を奪われないための対策だったのかも。

素人でも作れる「生成AI」

ところでそもそも、こういう「生成 AI」曲はどうやって作るのだろうと思っていたら、例えば「Suno」という生成 AI サイトがあって、歌詞さえ作れば、あるいは歌詞が無くても、素人でも簡単に、ボーカル入りの、お好みのスタイルの演奏曲を作れる、しかも一日10曲まで無料、ということになっているのでびっくりです。

さらにびっくりしたのは、GoogleのGemini(ジェミニ)アプリに、同様に音楽を作る生成AI機能が追加されたこと。

こちらAndroid版。

play.google.com

こちらはMac版です。

Google Gemini

Google Gemini

  • Google
  • 仕事効率化
  • 無料

apps.apple.com

こちらは私もMac版で試してみましたが、「こんな感じの曲」という指示をすると、30秒のそれらしい曲を、歌詞もそれらしく適当に作って、本物の歌手のような声で歌ってくれました。しかも私の場合は英語でした。これは楽しくて、相当遊べそうですよ。

www.lifehacker.jp

 

 

カネコアヤノの「私は私よ」、高田渡のカバーで元はシャンソンだった

 

三井住友「 Olive の人」の歌手は「カネコアヤノ」

三井住友「 Olive の人」のCM曲の原曲は「白い色は恋人の色」である、という記事を書いたのですが、その際に、このCM曲を歌っているのは誰かは知りませんでした。

ducksfly.hatenablog.com

調べてみると、その記事にも追記しましたが、「カネコアヤノ」というシンガーソングライターだということが分かりました。

ユニクロのCMにも出演しています。

全く存じ上げなかったのですが、武道館公演もやったりして、現在、相当メジャーな方なんですね。

カネコアヤノの歌う「私は私よ」

YouTubeでその曲を何曲か聞かせて頂きましたましたが、面白いと思った曲があって、何と、数十年前のフォークソングブームの時の名物有名人「高田渡(たかだわたる)」の「私は私よ」(1973年)という曲のカバー。

カネコアヤノ「私は私よ」

youtu.be

私は私よ 歌詞

こちらが歌詞ですが、原詩の言葉を( )で囲んでおきました。

わたしはわたしよ もともとこんなよ
笑いたかったら きゃっきゃ(と)笑うわ
愛してくれれば わたしも好きだわ
相手がかわって なんでわるいの
わたしはわたしよ もともとこんなよ
しかたがないわね しかたがないでしょ

 

もともと男に すかれるたちなの
ヒールはたかくて ウエストほそくて
お乳はおもくて 目はつかれてて
けど そんなこと 男になんなの
わたしはわたしよ 好きなら好きでしょ

 

わたしのむかしが 男になんなの
そう あるひとと 愛しあったの(わ)
恋しかできない こどもみたい(に)
(恋しかできない・・・・・・)もう訊かないで
もともと男に すかれるたちなの
しかたがないわね しかたがないでしょ

 

わたしはわたしよ もともとこんなよ
笑いたかったら きゃっきゃ(と)笑うわ
愛してくれれば わたしも好きだわ

 

作詞 :ジャック・プレヴェール
訳詞 :小笠原 豊樹
作曲 :高田 渡

飄々としたスタイルの高田渡

作曲の高田渡(たかだわたる)氏がこの曲を発表した頃のフォークソングブームの頃は、「白い色は恋人の色」のような清純爽やか系もあり、「四畳半フォーク」と呼ばれる貧乏自慢系もあり、あるいはロマンチック系や、硬派系、反戦系もありと、いろいろ様々なタイプがありましたが、高田渡氏は時事的な話題を取り上げながらも、飄々と、自分の生活スタイルを淡々とした語り口で歌にして行く、というスタイルでした。

値上げ」とか「自転車に乗って」などが印象的でした。

自分のファッションもお構いなし、生きたいように生きる、というスタイルが共感を呼んで、「岡林信康」、「吉田拓郎」、「井上陽水」、「泉谷しげる」などと並んで人気があったものです。

もっとも、人気があろうがなかろうが関係ないよ、という態度なのが、またウケてましたね。

ちなみに、ひげもじゃで貫禄があったので、私よりずいぶん年上の世代と思ってましたが、今回調べたら、何と私と同じ年生まれだったので、意外です。

高田渡「私は私よ」

バックバンドは薗田憲一とディキシーキングス

youtu.be

高田渡「わたしはわたしよ」歌詞

こちらは、高田渡さんが歌った「わたしはわたしよ」の歌詞です。同様に、原詩にある文字は( )で囲ってあります。

わたしはわたしよ もともとこんなよ
笑いたかったら きゃっきゃ(と)笑うわ
愛してくれれば あ(わ)たしも好きだわ
相手がかわって なんでわるいの
わたしはわたしよ もともとこんなよ
しかたがないわね しかたがないでしょ

 

もともと男に すかれるたちなの
ヒールはたかくて ウエストほそく(て)
お乳はおもくて 目はつかれてて
けど そんなこと 男になんなの
わたしはわたしよ 好きなら好きでしょ

 

わたしのむかしが 男になんなの
そう あるひとと 愛しあったわ
恋しかできない こどもみたいに
(恋しかできない・・・・・・)もう訊かないで
もともと男に すかれるたちなの
しかたがないわね しかたがないでしょ

 

わたしはわたしよ もともとこんなよ
笑いたかったら きゃっきゃ(と)笑うわ
愛してくれれば あ(わ)たしも好きだわ

 

作詞 :ジャック・プレヴェール
訳詞 :小笠原 豊樹
作曲 :高田 渡

「カネコアヤノ」さんにとっては、この曲は、リアルタイムでないことはもちろんのこと、もはや親の世代でもないでしょう。私くらいの年代の、たぶん彼女にとっては祖父母の世代の曲でしょうから、それを歌っているのにびっくり。

彼女のじいちゃんか、ばあちゃんが当時聞いていて、その後も時々聞いていたんでしょうね。それを彼女も耳にした、ということではなかったかと推測。

原歌詞はフランス語シャンソンだった

作詞者として、「ジャック・プレヴェール」とある通り、何と、この曲の元ネタは、メロディーは全く違いますが、ジュリエット・グレコが歌った「シャンソン」だったのです。

映画の脚本家で詩人でもあった「ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)」が作詞、というより、彼が書いた色々な詩を集めた「ことば(Paroles)」(1946年)というタイトルの詩集があって、その中の、「私は私よ(Je suis comme je suis)」という詩に、ジョゼフ・コズマ(Joseph Kosma)が曲をつけたシャンソンです。

ジャック・プレヴェール

その後、オランダのウェンデ・スナイダーWende Snijder)などが、自分で全く独自の曲を付けて歌ったりしています。

高田さんも、この「ジャック・プレヴェール」によるフランス語の原詩の、小笠原 豊樹(おがさわら とよき)さんによる日本語訳に、さらに新しく曲を付けたんですね。

小笠原 豊樹さんによる日本語訳詩

わたしはわたしよ

わたしはわたしよ もともとこんなよ
笑いたかったら きゃっきゃと笑うわ
愛してくれれば わたしも好きだわ
相手がかわって なんでわるいの
わたしはわたしよ もともとこんなよ
しかたがないわね しかたがないでしょ

 

もともと男に すかれるたちなの
ヒールはたかくて ウエストほそくて
お乳はおもくて 目はつかれてて
けど そんなこと 男になんなの
わたしはわたしよ 好きなら好きでしょ

 

わたしのむかしが 男になんなの
そう あるひとと 愛しあったわ
恋しかできない こどもみたいに
恋しかできない・・・・・・もう訊かないで
もともと男に すかれるたちなの
しかたがないわね しかたがないでしょ

 

作詩:ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)
訳詩:小笠原 豊樹

図書館で「プレヴェール詩集」(岩波文庫)を借りて、原文確認しました。タイトルも「ひらがな」なんですね。

原詩プラス訳詞

そこで、「ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)」のフランス語の原詞に、小笠原 豊樹さんによる日本語訳詩を、あてはめてみました。

 Je suis comme je suis 日本語訳詩

Je suis comme je suis
わたしはわたしよ

Je suis faite comme ça
もともとこんなよ

Quand j’ai envie de rire
笑いたかったら

Oui je ris aux éclats
きゃっきゃと笑うわ

J’aime celui qui m'aime
愛してくれれば わたしも好きだわ

Est-ce ma faute à moi
Si ce n’est pas le même
Que j’aime chaque fois
相手がかわって なんでわるいの

Je suis comme je suis
わたしはわたしよ

Je suis faite comme ça
もともとこんなよ

Que voulez-vous de plus
しかたがないわね

Que voulez-vous de moi
しかたがないでしょ


Je suis faite pour plaire
Et n’y puis rien changer
もともと男に すかれるたちなの

Mes talons sont trop hauts
ヒールはたかくて

Ma taille trop cambrée
ウエストほそくて

Mes seins beaucoup trop durs
お乳はおもくて

Et mes yeux trop cernés
目はつかれてて

Et puis après
けど 

Qu’est-ce que ça peut vous faire
そんなこと 男になんなの

Je suis comme je suis
わたしはわたしよ

Je plais à qui je plais
好きなら好きでしょ


Qu’est-ce que ça peut vous faire
Ce qui m’est arrivé
わたしのむかしが 男になんなの

Oui j’ai aimé quelqu’un
Oui quelqu’un m’a aimé
そう あるひとと 愛しあったわ

Comme les enfants qui s’aiment
Simplement savent aimer
恋しかできない こどもみたいに

Aimer aimer...
恋しかできない・・・・・・

Pourquoi me questionner
もう訊かないで

Je suis là pour vous plaire
もともと男に すかれるたちなの

 Et n’y puis rien changer.
しかたがないわね しかたがないでしょ

 

作詩:ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)
訳詩:小笠原 豊樹

こうやって、原詩に当てはめてみると、きっちり、原詩に忠実な意訳をしてあって、しかも日本語の歌として歌える詞になっている、という見事な訳詩だと思います。

今回のお話

今回は、カネコアヤノさんの歌う「私は私よ」は、高田渡版「私は私よ」のカバーで、その歌詞は、フランスの脚本家で詩人の「ジャック・プレヴェール」の「Je suis comme je suis」という詩を、小笠原 豊樹さんが日本語に訳詩したものだった、というお話でした。

ジュリエット・グレコも自分で歌詞をちょっと変えているし、プレヴェールの原詩は、素材として、クリエイターの共感、創造力を刺激するもののようですね。

イーディー・ゴーメ「ワンノート・サンバ」の「そ」の音は「ソ」なの?そなの?・原曲の歌詞と読み比べ

「一音サンバ」

「ワンノート・サンバ(One Note Samba)」の「ワンノート」とは「一つの音」「一つの音階」「一音」という意味で、当ブログ名にも使わせて頂いている言葉です。

そうなると直訳すると「一音サンバ」となりそうです。

が、ここでの「One Note」は、音楽的なことを言いながら、それは同時に、恋人のことを言っているんですね。

さて、音楽的には、その「一音」、「一つの音階」、「その音」とは、具体的には「ドレミファソラシド」のうちの、どの音なのだろう、という疑問が浮かびます。

英語版の歌詞には、読んだだけでは手がかりがありませんが、原曲のポルトガル語版には、その「ヒント」がもろに、曲名にも歌詞にも出てました。

「ワンノート・サンバ」英語版 と、原曲 ポルトガル語版

そもそも、なぜ今回の話題が「ワンノート・サンバ」なのかと言うと、Eydie Gormé(イーディー・ゴーメ)の「Blame It on the Bossa Nova(恋のボサノバ)」が入っている同名のアルバム「Blame It on the Bossa Nova」を全曲聴いてみたのですが、その中で印象に残ったのはまず、The Gift「ギフト」。

ducksfly.hatenablog.com

それに続いて印象に残ったのが、やはりよく知られているこの曲、 One Note Samba「ワンノート・サンバ」なので、ちょっと深掘りしてみました。

英語版「ワンノート・サンバ」

まず、この曲の「英語版」の歌詞を読んでみますが、歌っているイーディー・ゴーメ、曲の冒頭とエンディングで、低いC音からE♭を皮切りにだんだん高い声を出して行って、オクターブも飛び越えて最後にとんでもない高音まで出していますね。確認すると何と2オクターブ以上。

思うに、この曲が文字通り、一音だけを中心にした、ちょっとせせこましい、ちまちました感じも無いではない曲なので、歌手としては、歌っているうちにさすがに欲求不満になるのかも知れません。

なので、最初と最後くらいは、はっちゃけて、欲求不満を解消しようとしてるんじゃないかなあ、などと、個人的には思いました。

Eydie Gormé(イーディー・ゴーメ)「ワンノート・サンバ」英語版

youtu.be

このイーディー・ゴーメ版では、ソ=E♭ 、ド=A♭の音になっています。

ONE NOTE SAMBA 英語版 日本語訳
ワンノートサンバ

For this is just a little samba
これはちょっと可愛いサンバなんだ、

Built upon a single note
一つの音を元にして作曲されてるからさ。

Other notes are bound to follow
他の音もついて来るけど、

But the root is still the note
でも基本の音はあくまでもその音なんだ。


Now this new one is the consequence
さあ今の、ここの新しい音程も、成り行きの結果なんだよ、

Of the one we've just been through
私たちがたった今、聞いて来た音程のね。

As I'm bound to be the unavoidable
まるで、私が否応なく着いて行かされる、

Consequence of you
成り行きの結果が、あなたであるようにね。


There's so many people who can
とてもたくさんの人たちが、

Talk and talk and talk
しゃべってしゃべってまたしゃべるよね。

And just say nothing
そして何も語ってはいないのさ、

Or nearly nothing
まあ、ほとんど何もね。


I have used up all the scale I know
私は知ってる音階をみんな弾いてみたよ

And at the end I've come to nothing
そして結局どこにも行けなかった

Or nearly nothing
まあ、ほとんどどこにもね。


So I come back to my first note
だから、私は戻って来たよ、私の最初の音にね、

As I must come back to you
まるで私が結局、あなたに戻るようにね。

I will pour into that one note
私はその一音に流し込むよ、

All the love I feel for you
あなたへの愛の全てをね。


Anyone who wants the whole show
全てを見たいと思う人は、

Re-mi-fa-sol-la-ti-do
レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの全てをね。

He will find himself with no show
その人自身、何も見つけられないよね

Better play the note you know
よく知っている音を演奏する方が良いね。

 

【間奏】


This is still that little samba
これはまだ、ちょっと可愛いサンバだよ

Built upon that same old note
一つの音を元にして曲が出来てるんだ。

Other notes you know will follow
他にもあなたが知っている音が続くよ

But the root is still that note
でも基本の音はあくまでもその音なんだ。

 

Now this new one is the consequence
さあ今の、ここの新しい音程も、成り行きの結果なんだよ、

Of the one we've just been through
私たちがたった今、聞いて来た音程のね。

As I'm bound to be the unavoidable
まるで、私が否応なく着いて行かされる、

Consequence of you
成り行きの結果が、あなたであるようにね。

 

【スキャット】

 

So I come back to my first note
だから、私は戻って来るよ、私の最初の音にね、

As I must come back to you
まるで私が結局、あなたに戻るようにね。

I will pour into that one note
私はその一音に流し込むよ、

All the love I feel for you
あなたへの愛の全てをね。


Anyone who wants the whole show
全てを見たいと思う人は、

Re-mi-fa-sol-la-ti-do
レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの全部をね。

He will find himself with no show
その人自身、何も見つけられないよ

Better play the note you know
よく知っている音を演奏する方が良いね。

 

That's not the note
それはその音じゃないよ

This is the note right here
これがまさしくその音だよ

 

Music &  Lyrics  :Antônio Carlos Jobim / Newton Ferreira de Mendonça
English lyrics : Jon Hendricks

というわけで、「その音」、「その一音」が、具体的にどの音なのかのヒントは見当たらないようです。←追記:ヒントがありました。コメント欄で「ごあ」さんからご指摘を頂いた通り、歌詞の最後の2行

That's not the note
それはその音じゃないよ

This is the note right here
これがまさしくその音だよ

の、上の行では、この行が歌われている音階は「ソ」の ♯ の音階で、下の行では半音下がって「ソ」の音階になっているんですね。

実際の音と照らし合わせて歌詞を読めば、ヒントは大ありなのでした。

 

ポルトガル語・原曲版「ワンノートサンバ」

そして、こちらが創唱者のJoão Gilberto(ジョアン・ジルベルト)が歌う (1960年)ポルトガル語版の原曲「Samba de uma nota só 」です。

なお、ボサノバ歌手として有名な「アストラッド・ジルベルト」はジョアン・ジルベルトの奥さんでした。

Samba de uma nota só - João Gilberto (1960)

youtu.be

このジョアン・ジルベルト版では、ソ=C、ド=F の音です。

 

ポルトガル語版、元曲のタイトルは、
「Samba De Uma Nota

(サンバ・ヂ・ウマ・ノータ・ソ)

一音だけのサンバ。

「De」は、「ぢ」と読むんですね。

ん?

 

Uma = 一つの

Nota = 音

= だけ、それだけ

 

の、最後の 」、これは発音としては「ソ」なんじゃないの?

もしや、その一つの音、一音って、音階としてのなの?そなの?

というわけで、ポルトガル語歌詞を読んでみます。

Samba De Uma Nota Só(ワンノートサンバ)歌詞
一音だけのサンバ

Eis aqui este sambinha
これはちょっとしたサンバです。

Feito numa nota só,
たった一つの音だけで演奏されています。

Outras notas vão entrar
他の音も入ってきますが、

Mas a base é uma .
しかしベースは一つだけです。

 

Essa outra é consequência
このまた別(の音程)は結果なのです

Do que acabo de dizer
今言ったことのね

Como sou a consequência inevitável de você.
私があなたの、必然的な結果であるようにね。

 

Quanta gente existe por aí
世間には何人いることでしょう

Que fala tanto e não diz nada,
たくさんしゃべるのに何も語らない人が、

Ou quase nada.
あるいはほとんど何も語らない人が。


Já me utilizei de toda escala
もう音階は全て使いました

E no final não sobrou nada,
そして結局何も残らなかった

Não deu em nada
何にもならなかった

 

E voltei pra minha nota
そして私は元の音に戻りました

Como eu volto pra você
あなたのところに戻るように

Vou contar com uma nota
ひとつの音で伝えよう

Como eu gosto de você.
私がどれだけあなたを愛しているかを

E quem quer todas as notas
そして、すべての音が欲しいという人は

Ré-Mi-Fá--Lá-Si-Dó
レミファ「ラシドの、すべての音が欲しいという人は

Fica sempre sem nenhuma
結局、何も得られない

Fique numa nota .
ひとつの音だけに留まりなさい。

 

Eis aqui este sambinha
ほら、このちょっとしたサンバを聴いて

Feito numa nota ,
たった一つの「」の音だけで演奏されています。

Outras notas vão entrar
これから他の音も入ってくるけれど

Mas a base é uma .
基本(ベース)は、一つ、「れだけなんだ

 

Essa outra é consequência
このもう一つの音程は結果なのさ

Do que acabo de dizer
いま言ったことの結果なんだ

Como sou a consequência inevitável de você.
私が、あなたという存在から逃れられない「必然の結果」であるのと同じようにね

 

Quanta gente existe por aí
世の中にはどんなにたくさんいるだろうか

Que fala tanto e não diz nada,
饒舌(じょうぜつ)にしゃべるけれど、心には何も響いてこない人が

Ou quase nada.
あるいはほとんど響いてこない人が


Já me utilizei de toda escala
私もかつてはあらゆる音階を使ってみた

E no final não sobrou nada,
けれど結局、最後には何も残らなかった

Não deu em nada
何の意味もなかった

 

E voltei pra minha nota
そして、私は自分の(元の)音に戻ってきた

Como eu volto pra você
まるで、あなたのもとへ帰る時のように。

Vou contar com uma nota
一つの音として伝えよう

Como eu gosto de você.
私がどれほど、あなたを愛しているかを。

 

E quem quer todas as notas
そして、すべての音が欲しいという人は

Ré-Mi-Fá--Lá-Si-Dó
レミファ「ラシドの、すべての音が欲しいという人は

Fica sempre sem nenhuma
結局、何も得られない

Fique numa nota só.
 ひとつの「そ」の音だけに留まりなさい。

 

 

Music & Lyrics :Antônio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)/ Newton Ferreira de Mendonça(ニュートン・フェレイラ・ヂ・メンドンサ)

 

✳︎ アントニオ・カルロス・ジョビンは、「Tom Jobim」(トム・ジョビン)とも呼ばれるのですが、ポルトガル語では「Antônio」の「tôn」と「Tom」の発音が同じ「トン」なのだそうです。妹さんから「トン」と呼ばれていたので、とのこと。

✳︎ 歌っている歌手「João Gilberto」(ジョアン・ジルベルト)の「João 」も、(ジョアオ)と読んでしまいますが、「ão 」の部分が鼻に抜ける、いわゆる「鼻濁音」になるので、「ジョアン」になるんですね。

ダブル(トリプル?)ミーニングの「

ポルトガル語の「ドレミファソラシド」は、「Dó Ré Mi Fá Sol Lá Si Dó」なので、音階名としての「」の音の表記は本当は「Sol」なのですが、歌詞では「Ré-Mi-Fá--Lá-Si-Dó」となって「」の表記になっています。

私は歌詞を訳すときに、あ、これは間違いだろうから直さなくちゃ、と思ったのですが、ふと気が付きました。

これは、間違えたのではなく、あえて音階の「」の正しい表記の「Sol 」ではなくて、「のみ」「だけ」という意味の「」の表記に、わざとしているんですね。

」と「Sol 」は、コテコテ日本人耳の私が普通に聞いた感じでも、両方とも「ソ」と聞こえます。

そのこともヒントになって、この曲は出来たのではないかとも思います。

まあ、耳を澄まして、よくよく聞いてみると「」は「そぉ」で「Sol 」は「そぅ」に聞こえるのですけどね。

つまり、「一つだけの音」という「その音」は、どの音かと言うと、音階としての「」の音が「」の音なんだよ、と、ダブルミーニングとして、両方に掛けているのだと思われます。

ちなみに、「Sol 」はポルトガル語で「太陽」のことでもあるので、そうなると「トリプル」ミーニングかも。

発想としては「ダジャレ」「親父ギャグ」に近い。

そんなダブルミーミングを思い付いたのは、ジョビンなのか、共作者のメンドンサなのか。

左:ジョビン、右:メンドンサ

これは、ジョビンとメンドンサは幼なじみで、どちらもピアノを弾くので、どちらが作詞、どちらが作曲の担当だとは断定出来ず、初期ビートルズのジョンとポールのように、二人で一緒に曲も歌詞も作った、というのが実情だと思われます。

二人で、

「あ、ワンノートの1音、その音って、の音だよね」

「そそそ、そうそう、その音」

だよね、それじゃあ、それは、そのまま、『ソ』のまま、にしとくか」

「あははは、そだね、『そ』のまま、そのまま」

「そかそか!」

といった感じの、大笑いダジャレ合戦がひとしきりあったのではないかと想像します。

もっとも、「主音」という、曲の基準になる音、調性が変わっても第一音となる音はあくまでも「ド」なので、本当の恋人、曲の最後の最後に帰る音は、「ソ」の音ではなくて「ド」の音なんですね。

ところが、ここがこの曲の面白い終わり方なのですが、その最後の最後の音は主音である「」の音なのにもかかわらず、「só.)」と発音して終わっているのです。

Fique numa nota só.

ひとつの「そ」の音だけに留まりなさい。

今回のお話

今回は、「ワンノート・サンバ」の「その音」は「ドレミファソラシド」のうちのどの音なのかと、ポルトガル語版である原曲の歌詞を読んでみたら、基準とすべき、帰るべき「ワンノート」、大切な「一音」であるその音は「ソ」の音だ、と言うことが分かった、というお話でした。

しかし、その帰るべき音が「ソ」の音だと言ってしまったので、実際の曲の終わりでは、「ド」の音に帰って終わっているのに、それを「ソ」と発音して、この「ド」の音は「ソ」なのだ、と言い張っている、ようにも聞こえます。

なので、この曲はボサノバという柔らかい当たりの曲にしては、「ボサノバはサンバに反発して出来た」、という説の通りに、実はツッパリな曲である、ということが分かった、というお話でもありました。

(「ボサノバ」とは「新しい波=ニューウェーブ」という意味)

おまけ

色々なアーチストによる演奏の「ワンノート・サンバ」で、「」はどの音なのか、「」はどの音なのか、色々聞いて調べてみました。

カテリーナ・ヴァレンテとディーン・マーチン

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この「カテリーナ・ヴァレンテ(とディーン・マーチン)」の版では、映像中でカテリーナが言っている通り、「イーディー・ゴーメ」版と同じく、ソ=E♭ 、ド=A♭です。

 

スタン・ゲッツとアストラッド・ジルベルト

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この「スタン・ゲッツ」と「アストラッド・ジルベルト」版では、ソ=D、 ド=Gです。

 

パオラ・エルモシン

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この「パオラ・エルモシン」版でも、ソ=D、ド=Gですね。

動画の前半でパオラは、「一つの音がずっと維持されるのだけど、その音に対する和音がどんどん変化して行く。歌詞にあるように、すべての音階が使われている」と言っています。

 

ジョアン・ジルベルト

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こちらは創唱者「ジョアン・ジルベルト」の後年になってからの別演奏ですが、やはり初期の演奏と同じ、ソ=C、ド=F です。

 

ステイシー・ケント

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この「ステイシー・ケント」版では、ソ=B 、ド=E です。

 

トロント・ジャズ・トリオ

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この「トロント・ジャズ・トリオ」版では、ソ=F 、ド=B♭ です。

 

フランク・シナトラ

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「フランク・シナトラ」版では、ソ=D 、ド=G です。

 

セルジオ・メンデス

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「セルジオ・メンデス」版では、ソ=D 、ド=G です。

 

トム(アントニオ・カルロス)・ジョビン

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この曲の作曲者「トム(アントニオ・カルロス)・ジョビン」版では、ソ=D 、ド=G です。

 

バイラ・ノヴァ

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こちらの「バイラ・ノヴァ」版では、ソ=F 、ド=B♭ です。

 

さて、この記事内の全部の演奏の「ソ」と「ド」を並べてみると、

 

ソ=E♭ 、ド=A♭

ソ=C、  ド=F 

ソ=E♭ 、ド=A♭

ソ=D、  ド=G

ソ=D、  ド=G

ソ=C、  ド=F 

ソ=B、  ド=E

ソ=F、  ド=B♭ 

ソ=D、 ド=G

ソ=D、 ド=G

ソ=D、 ド=G

ソ=F、  ド=B♭ 

 

となって、ここでは、ソ=D、  主音のド=G というタイプが、12分の5、だいたい4割くらいの割合になるので、かなり多いようです。

これだけでは判断できませんが、もし、主音のド=Gが、一般的な音楽の主流だとすると楽譜の標準が、Gの筆記体 🎼 のト音(G音)記号の楽譜になっているのと関係があるのでしょうか。

はてな?

三井住友「 Olive(オリーブ)の人」CM曲の元曲の「白い色は恋人の色」作詞作曲は「フォークル」メンバーだった

三井住友「 Olive の人」CM曲

三井住友銀行のスマホの口座「Olive(オリーブ)」を使いこなしている「Oliveの人」である吉高由里子(よしたかゆりこ)さんを、まだ「通帳の人」である、お笑いコンビ「ダイアン」津田篤宏(つだあつひろ)さんが見て、自分も「Oliveの人」になろうかな、と思っている、というCMですね。

このCMのバックに流れる爽やかな音楽で、とても澄んだ歌声で歌っているのは、シンガーソングライターの「カネコアヤノ」さん。

カネコアヤノさんは、ユニクロのCMにも出演しています。

ところで、この三井住友「 Olive の人」の音楽、どこかで聞いたことのあるメロディーですね。

「Oliveの人〜スマホ」篇 アプリDL Ver 30秒

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「Oliveの人」歌詞

軽やかなあの人は

Oliveの人

口座もクレカも手のひらに

Oliveの人

Oliveの人

Oliveの人

「Oliveの人〜PayPay」篇 アプリDL Ver 30秒

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「Oliveの人〜PayPay」篇 歌詞

美しいあの人は

Oliveの人

PayPayもお上手な

Oliveの人

Oliveの人

Oliveの人

元曲はベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」

このメロディーの元曲は、1969年10月発売のヒット曲、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」

向かって左が「ベッツイ」右のギター担当が「クリス」です。

「クリス」は「スリーフィンガー」というギター奏法で演奏していて、そんな奏法が出来ないフォーク民からは「すげー」と感嘆されたものです。

ベッツイ&クリス「白い色は恋人の色」

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「白い色は恋人の色」歌詞

1)

花びらの白い色は 恋人の色

なつかしい白百合は 恋人の色

ふるさとの あの人の

あの人の足元に咲く白百合の

花びらの白い色は 恋人の色

 

2)

青空のすんだ色は 初恋の色

どこまでも美しい 初恋の色

ふるさとの あの人と

あの人と肩ならべ 見たあのときの

青空のすんだ色は 初恋の色

 

3)

夕焼けの赤い色は 想い出の色(クリス)

涙でゆれていた 想い出の色(ベッツイ)

ふるさとの あの人の

あの人のうるんでいた 瞳にうつる

夕焼けの赤い色は 想い出の色

想い出の色 想い出の色・・・・・・・

 

作詞:北山修
作曲:加藤和彦

作詞作曲は「フォークル」メンバー

作詞の「北山修」と、作曲の「加藤和彦」は、「はしだのりひこ」と一緒に、伝説の三人組フォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ(略称「フォークル」)」を組んで、「帰って来たヨッパライ」で一世を風靡。

松山猛訳詞の「イムジン河」、寺山修司作詞の「戦争は知らない」、五木寛之作詞の「青年は荒野をめざす」などのヒットがありますが、活動期間1年で1968年10月に解散。

「ザ・フォーク・クルセダーズ」は、アメリカのジャズバンド「ジャズ・クルセダーズ(The Jazz Crusaders)」をもじって付けた名前で、Crusadersが「十字軍」という意味なので、世界中の民謡を紹介する、というコンセプトでした。

「北山修」と加藤和彦」コンビでは、「あの素晴らしい恋をもう一度」もヒットしました。

ベッツイ&クリス(BETSY&CHRIS)はハワイ音楽グループメンバー

「ベッツイ」こと、エリザベス・ヴァージニア・ワーグナー(Elizabeth Virginia Wagner)さん(ハワイ出身)と、「クリス」こと、クリスティーン・アン・ロルセス(Christine Anne Rolseth)さん(アイダホ出身)は当時17歳。

共に、ハワイのカイルア・ハイスクールの生徒たちで結成された「サウンズ・オブ・ヤング・ハワイ」という音楽グループのメンバーとして1969年7月に来日公演、その際にスカウトされました。

どんなグループだったのかは不明ですが、多分、ハワイの民謡「ハワイアン」を歌ったのではないかと推測。

なるほど、「フォークル」とは「民謡つながり」だったのかと納得しました。

今回のお話

今回は、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」の作詞は「北山修」、作曲は「加藤和彦」という「ザ・フォーク・クルセダーズ(略称「フォークル」)」のメンバーだった、というお話です。

「フォークル」解散後1年目の作品、ということになりますね。

ベッツイ&クリスも3ヶ月で日本語が歌えるとは、すごいものです。

それにしても、調べたら、「フォークル」の「加藤和彦」氏も「はしだのりひこ」氏も、そして「クリス」さんさえも、もうすでに他界されているんですね。

 

昭和は遠くなりにけり。

イーディー・ゴーメ「Gift(ギフト)」は「贈り物」で、原曲の「Recado」(リカード)は「伝言(ことづて)」のこと

 

Eydie Gormé(イーディー・ゴーメ)The Gift「ギフト」

Eydie Gormé(イーディー・ゴーメ)の「Blame It on the Bossa Nova」が入っている同名のアルバム「Blame It on the Bossa Nova」を全曲聴いてみました。

特に印象に残ったのは、やはりこの曲ですね。

The Gift「ギフト」贈り物。

なお、「ギフト」と「プレゼント」の違いは、「ギフト」はフォーマル、「プレゼント」はカジュアル、なんだそうです。

 

「Blame It on the Bossa Nova(恋のボサノバ)」のレコーディングでは手を抜いたというイーディー・ゴーメが、手を抜かずに歌った「The Gift(ギフト)」。

繰り返しの部分の「 sweet 」が、ロングトーンで本当に甘くて「スイート」な感じなのが良いですね。

それに「love」の発音も良いと思います。

Eydie Gormé(イーディー・ゴーメ)The Gift「ギフト」

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Gift(ギフト)英語歌詞と日本語訳

No strings have pearls in a velvet glove
ベルベットの手袋に落ちた真珠は、糸でつながなくても大丈夫

The thing I long for is the gift of love
私が本当に欲しいのは愛の贈り物

 

No ring of gold but a dream to unfold
ゴールドの指輪じゃなくて、解き放たれる夢

When all the stars have flown and we′re alone
その時、全ての星たちは飛び去り、私たちしかいなくなる

 

The gift of love is a precious thing
愛の贈り物は特別なもの

A touch of magic on a day in spring
春の日のちょっとした魔法のようなときめき

 

The golden dream every dreamer pursues
夢見る人なら誰もが追い求める、黄金に輝く夢

Remember darling, never refuse the gift of love
覚えておいてよダーリン、決して愛の贈り物を拒否してはダメ

 

【ここから繰り返し】

 

For love can be a melody that lingers
なぜなら、愛はいつまでも続いて行くメロディーになれるかも知れないし

Or slip like April wine right through your fingers
あるいは4月のワインのようにサラッと、あなたの指の間をすり抜けてしまうかも知れない

 

So kiss me sweet till our secret star
だから、私に甘〜くキスしてよ、私たちの秘密の星が

Illuminates the way to Shangri-La
楽園へ通じる道を明るく輝かせてくれるまで

 

Whatever fate may befall all I know
どんな運命が降りかかって来ても、私に分かっているのは、

Is that the gift of love  is the greatest gift  of all
愛の贈り物があらゆる贈り物の中で、一番素敵な贈り物だってこと

 

【繰り返しここまで】

 

...What of all
...何よりも、ってこと

 

...Ah! That's all
...ああ、それがすべて、ってこと

 

 

作詞:Paul Francis Webster(ポール・フランシス・ウェブスター)
作曲:Djarma Ferreira(ジャルマ・フェレイラ)

この曲の歌詞1行目の

No strings have pearls in a velvet glove
ベルベットの手袋に落ちた真珠は、糸でつながなくても大丈夫

は、「真珠である私」は、もうすでに、肌触りが良くて暖かくて、居心地の良いベルベットの手袋のようなあなたの中に包み込まれているのだから、つなぎ留めるための糸はいらないよ、という意味だと解釈しました。

「つなぎ留めるための糸」は、例えば「金の指輪」、というわけです。

Recado(伝言)

そして、この曲の原曲は「Recado(伝言)」という、1959年ブラジルでヒットしたポルトガル語の曲なんですね。

アメリカの Paul Francis Webster が英語の詞を付けて、Eydie Gormé ( イーディ・ゴーメ ) が「The Gift」というタイトルで歌って大ヒット、というわけです。

そして、こちらが、そもそものポルトガル語の原曲、作曲者本人のジャルマ・フェヘイラが、自身の「Djalma Ferreira e Seus Milionários do Ritmo(「ジャルマ・フェヘイラと彼のリズムの億万長者たち」)」という素敵な名前のグループで、1959年に録音したオリジナルです。

Djalma Ferreira e Seus Milionários do Ritmo「Recado」

youtu.be

「Recado」ポルトガル語歌詞と日本語訳

Recado
伝言

Você errou quando olhou pra mim
あなたは間違いを犯したのです、私を見つめた時に、

Uma esperança fêz nascer em mim
「希望」を私の中に芽生えさせてしまったから。


Depois levou pra tão longe de nos
それから(希望は)私たちからずっと遠くへ行ってしまった、

Seu olhar no meu, a sua voz.
私の瞳に残るあなたの眼差しも、その声も、すべて連れて。

 

Você deixou sem querer deixar
あなたは去らなければならなかった、

Uma saudade enorme em seu lugar
あなたの代わりに、あまりにも大きな「サウダージ(甘く切ないメランコリー)」を残して。

 

Depois nós dois cada qual a mercê do seu destino
それから私たち二人は、それぞれの運命のなすがまま、

Você sem mim eu sem você
あなたは私なしで、私はあなたなしで。

 

Saudade, meu moleque de recado,

サウダージ(切ない)よ、お前は私の「使い走りの伝言小僧」なんだから……

Não diga que eu me encontro nesse estado.
あの人のところへ行っても、私がこんな切ない想いに沈んでる状態だなんて、絶対に言いつけちゃダメだよ。

 

【間奏】

 

Saudade, meu moleque de recado,

サウダージ(切ない)よ、お前は私の「使い走りの伝言小僧」なんだから……

Não diga que eu me encontro nesse estado.
あの人のところへ行っても、私がこんな切ない想いに沈んでる状態だなんて、絶対に言いつけちゃダメだよ。

 

Você errou quando olhou pra mim
あなたは間違いを犯したのです、私を見つめた時に、

Uma esperança fêz nascer em mim
「希望」を私の中に芽生えさせてしまったから。


Depois levou pra tão longe de nos
それから(希望は)私たちからずっと遠くへ行ってしまった、

Seu olhar no meu, a sua voz.
私の瞳に残るあなたの眼差しも、その声も、すべて連れて。

 

Você deixou sem querer deixar
あなたは去らなければならなかった、

Uma saudade enorme em seu lugar
あなたの代わりに、あまりにも大きな「サウダージ(甘く切ないメランコリー)」を残して。

 

Depois nós dois cada qual a mercê do seu destino
それから私たち二人は、それぞれの運命のなすがまま
それぞれの運命を(生きていく)・・、

Você sem mim eu sem você
あなたは私なしで、私はあなたなしで。

 

作詞:Luiz Antônio(ルイス・アントニオ)
作曲:Djarma Ferreira(ジャルマ・フェレイラ)

この歌詞でのポイントは、タイトルの「伝言」という言葉と、歌詞に出て来る「サウダージ」という言葉ですね。

Recado(リカード)=伝言、とは

この曲「Recado(伝言)」の歌詞の内容は、自分と別れてしまった恋人に、自分の今のサウダージ(甘く切ないメランコリー)な想いを伝えたい気持ちがあるものの、自分がこんなに切なくて落ち込んでいる事は、伝言してもらいたくない気持ちも、またあるのだ、という裏腹な思いを歌っているんですね。

私は「伝言つながり」で、内容としては「ジョニーへの伝言」での「伝言」と似ているかな、と思いました。

「ジョニーへの伝言」の歌詞のラストはこうなっています。

ジョニーが来たなら

伝えてよ

2時間待ってたと

サイは投げられた

もう出かけるわ

私は私の道を行く

友達なら そこのところ

うまく伝えて

うまく伝えて

 

阿久悠作詞
都倉俊一作曲
高橋真梨子歌唱

この歌詞の中の、「うまく伝えて」ほしい「そこのところ」という、「言うに言えない気持ち」を「うまく」伝言している、伝えているのが、この曲「Recado(伝言)」のような気がしたのです。

伝言小僧(メッセンジャーボーイ)とは

当時の南米ブラジルの街角では、手紙や伝言を届けて回った「使い走りの少年、伝言少年」が実際にいたそうなんですね。

中米のヒット曲「ある恋の物語」のミュージックビデオにも、それはこんな感じだったのかな、という少年少女が出て来ます。

 

Recado(伝言)の歌詞の中の、

Saudade, meu moleque de recado

の後ろの部分、

meu moleque de recado,

が、「私の伝言小僧」なのですが、その前にある

Saudade,

これを私は「切ないよ」あるいは「寂しいよ」という自分の気持ちの表明、と解釈したのですが、これを「切なさ」と読んで、その「切なさ」自体が「私の伝言小僧」なのである、という解釈も可能なんですね。

「切なさ君、私の伝言小僧君」

というわけです。

Saudade(サウダージ)=切なさ、とは

さて、そもそも「Saudade(サウダージ)」とはどういう意味か、ですが、この言葉には色々な意味やニュアンスが含まれていて、守備範囲がめっぽう広い言葉のようなのです。

一言で説明できる日本語、あるいは他の国の言葉も存在しない、と言われるほど。

まあ、これが翻訳の難しいところで、「A=B」というふうに単純に「ポルトガル語=日本語」というふうに等記号で対称的には置き換えられないんですね。

言葉はそれぞれの文化の物の見方、世界を見る解釈の仕方、切り取り方なので。

解説によると、Saudade(サウダージ)とは、二度と戻らない、当時は輝いていたけれど、今はないもの、失われたもの、過ぎ去った時間や場所、幼い頃の記憶、会えない人、などを恋しく、懐かしく思う気持ち、切なくも甘美な郷愁、思慕の情にひたるメランコリーな気持ち、とまあ、なかなか複雑な心理状態なんですね。

「サウージ・サウダージ」

「サウージ・サウダージ(SAÚDE! SAUDADE)」という、FM放送の「J-WAVE」の1988年の開局時からいまだに続いている音楽番組があるのですが、そんなに長寿番組になったのは、日曜日の夕方5時から、という放送時間設定が見事にハマったから、と言うんですね。

www.j-wave.co.jp

日曜日の夕方5時と言えば、楽しく過ごした休日ももう終わりで、明日の学校のこと、仕事のことを考え始める時間、そんな時には、楽しかったことを思い出しながらも、そこはかとないメランコリーな気分になりますね。

そんな時には、メランコリーな気分を癒してくれる、例えばブラジルのボサノバなど聴きたくなりませんか?

そんな気分が「サウダージ」なのです、というわけですね。

番組の解説は以下のとおりです。

健康、乾杯のあいさつをあらわす言葉「サウージ」。懐かしさ、郷愁、人恋しい想いをあらわす言葉「サウダージ」。この2つのポルトガル語をキーワードとして、ブラジルをはじめ、フランスなどのヨーロッパ、そしてラテンアメリカをめぐる音楽の旅にご案内します。J-WAVE開局当時から続く定番プログラムです。

J-WAVE」より

今回のお話

今回は、Eydie Gormé(イーディー・ゴーメ)のThe Gift「ギフト」と、その元曲のRecado(リカード)を読み比べてみました。

こうやって歌詞を読み比べて曲を聴き比べてみると、The Gift「ギフト」の方は恋の始まりの甘い歌で、Recado(リカード)の方は恋は終わってしまった切ない歌に聞こえますね。

それぞれがその歌詞の内容にピッタリなメロディーに聞こえます。

ということは、原曲のメロディーそのものが「サウダージ」という言葉の持っている、「甘さ」と「切なさ」が同時に存在する、という特質を、みごとに体現しているメロディーだ、ということなんでしょうね。

ちなみに、Bossa Nova (ボッサ・ノヴァ)は、ポルトガル語で「新しい感覚」「新しい波」を意味するそうです。

Nova (ノヴァ)が「新しい」ですね。

「文句があるならボサノバに言って!」「Blame It on the Bossa Nova」(邦題:恋はボサノバ)」の意味は?

イーディ・ゴーメが歌う「恋はボサノバ」

「イーディ・ゴーメ(Eydie Gormé)」が歌う「Blame It on the Bossa Nova」の日本語タイトルは「恋はボサノバ」。

この曲がヒットした1963年頃は、外国曲に日本語タイトルを付ける際の流行りだったのか、タイトルの頭に「恋の」が付く曲が多かった時期でした。

「恋のゴーカート」、「恋のパームスプリング」、「恋の特効薬」、日本でも「恋のバカンス」などなど。

この「恋はボサノバ」という日本語タイトルも、その流れに沿ったものだと思われます。

「文句があるならボサノバに言って」とは?

しかし、この曲の原題は「Blame It on the Bossa Nova」なので、直訳すると、「文句があるならボサノバに言って!」ということになるのだけど、はてさて、どんな文句なのだろう。

というところで、原語である英語の歌詞を訳してみることにしました。

こちらはアメリカの女優カレン・ヴァアレンタイン、16歳でデビュー当時の1963年11月10日のエド・サリバン・ショーでのパフォーマンス。

youtu.be

カレン・ヴァアレンタインの躍動するパフォーマンスが元気いっぱいで、しかも歌もオリジナルのイーディー・ゴーメなみにうまいものだと思いましたが、これはなんとリップシンク、つまりいわゆる「口パク」なのでした。

エドサリバンショーでは歌手による歌や演奏など、生(ナマ)でのパフォーマンスが主ではありましたが、時々、会場で前もって演奏や歌唱をしたものを録音して、それに合わせて出演者が演奏するフリ、歌うフリをしていた事もあったのでした。

私もそれを知って、なるほど、それで、ビートルズが他の番組(Shindig!)でしたがI'm A Loser をパフォーマンスした時に、あれっ?ジョンがハーモニカを吹いてないのにハーモニカの音がしてる?!という場面があったのか、と納得しました。

さらに、このカレン・ヴァアレンタインの場合の歌唱は、なんとカレン本人の歌唱ではなく、「イーディー・ゴーメ」オリジナルのレコード盤そのものの音声なのでした。

Blame It on the Bossa Nova

Blame It on the Bossa Nova

  • イーディー・ゴーメ
  • ポップ
  •  
  • provided courtesy of iTunes

それで、彼女が登場して来る場面で男たちが踊るショーの楽団のリズムと、歌本編のリズムが食い違っているんですね。

曲のエンディングでも、繰り返し部分になるとレコード盤の音量を絞って、ショー所属の楽団の演奏をかぶせてます。

確かに、この激しく動き回るダンスを踊りながら、実際に息も切れずに歌って、しかもその音声をマイクが拾うのは、相当難しいことだと思われますので、番組制作側としては妥当な判断なんでしょうね。

さて、歌詞を訳してみると、

「Blame It on the Bossa Nova」(恋はボサノバ)英語歌詞・日本語訳

[Verse 1]

【1番】
I was at a dance
私はダンスを踊ってた

when he caught my eye
その時、彼が私の目を引いた

Standin' all alone
立ってたんだ、ひとりぼっちで

lookin' sad and shy
悲しそうで、恥ずかしそうだった

We began to dance,
私たちは踊り始めた

swayin' to and fro
前後に揺れながらね

And soon I knew
そしてすぐに分かった

I'd never let him go
私は彼を決して手放さないってね

 

[Chorus]

【サビ】
Blame it on the bossa nova
文句があるならボサノバに言ってよ

with its magic spell
その魔法の呪文のおかげで

 

Blame it on the bossa nova
ボサノバのせいで

that he did so well
彼はダンスがとっても上手だった

Oh, it all began with just one little dance
ああ、すべては一つの小さなダンスから始まった

But soon it ended up a big romance
だけど、すぐにそれは大きなロマンスになったんだよ

Blame it on the bossa nova,
ボサノバのせいだよ

the dance of love
恋のダンスだね

 

[Post-Chorus]

【後サビ】
(Now, was it the moon?)
(じゃあ、それは月のせいだったの?)

No, no, the bossa nova
いえいえ、ボサノバのせいだよ

(Or the stars above?)
(それとも夜空の星のせい?)



No, no, the bossa nova
いえいえ、ボサノバのせいさ

(Now, was it the tune?)
(じゃあ、それは曲のせいだった?)

Yeah, yeah, the bossa nova
そうそう、ボサノバだよ

(The dance of love)
(愛のダンスだね)

 

[Instrumental Break]

【間奏】(私の感想:この間奏、どうも調子っぱずれに聞こえるのですが、音程合ってるんですよね〜)

 

[Verse 2]

【2番】
Now, I'm glad to say
さて、私はこう言えることが嬉しい

I'm his bride-to-be
私は彼の花嫁になるんだよ

And we're gonna raise
そして、私たちは育てて行くんだ

a family
一つの家庭をね

And when our kids ask
そして子供たちが聞いたらさ

how it came about
どうやってこんなふうになったのかってさ

And I'm gonna say
そしたら私はこう言うのさ

to them without a doubt
彼らに、間違いなくさ

 

[Chorus]

【サビ】
Blame it on the bossa nova
文句があるならボサノバに言ってよ

with its magic spell
その魔法の呪文のおかげで

Blame it on the bossa nova
ボサノバのせいで

that he did so well
彼はダンスがとっても上手だったんだ

Oh, it all began with just one little dance
ああ、すべてはほんの一つの小さなダンスから始まったんだよ

But soon it ended up a big romance
でも、すぐにそれは大きなロマンスになりました

Blame it on the bossa nova,
ボサノバのせいだよ

the dance of love
恋のダンスだね

 

[Post-Chorus]

【後サビ】
(Now, was it the moon?)
(じゃあ、それは月のせいだった?)

No, no, the bossa nova
いえいえ、ボサノバのせいだよ

(Or the stars above?)
(それとも夜空の星のせい?)

No, no, the bossa nova
いえいえ、ボサノバのせいだよ

(Now, was it the tune?)
(じゃあ、それは曲のせいだった?)

Yeah, yeah, the bossa nova
そうそう、ボサノバだよ

(The dance of love)
(愛のダンスだね)

 

[Outro]

【エンディング】
(Now, was it the moon?)
No, no, the bossa nova
(Or the stars above?)
No, no, the bossa nova
(Now, was it the tune?)
Yeah, yeah, the bossa nova
(The dance of love)

 

Lyrics:Cynthia Weilx(シンシア・ワイル)
Music: Barry Mann(バリー・マン)

というわけで、「文句があるならボサノバに言って!」の意味は、

「私が恋に落ちてしまったことに文句があるなら、ボサノバに言ってよ、恋したのはボサノバのせいなんだから」

ということだったんですね。

「Blame It on 〜」は決まり文句

調べてみると、「Blame It on 〜」というフレーズは「〜に文句を言う」転じて「〜のせいにする」という英語のイディオム、決まり文句なのでした。


つまり「ボサノバ」という音楽は、それを聞くと恋に落ちるような、それほど魅力的な、魔法のような、素敵な音楽だと言いたいのでした。

わざと下手に歌った?イーディー・ゴーメ

この曲はイーディー・ゴーメの代表曲の一つになっていますが、実は彼女はこの曲が嫌いで、ボツになればいい、というスタンスでレコーディング録音したのだそうです。

調べてみたところ、イーディー・ゴーメは本来、夫さんのスティーヴ・ローレンスもそうでしたが、本格派の「おとな」の歌手として活躍していて、「格調高い、洗練された」スタンダード・ジャズなどを、ナイトクラブやテレビ番組で歌っていた。

そこへ、当時大流行していたアメリカン・ポップス系のこの曲を歌ってみないか、と言う話が来たものの、軽すぎて脳天気すぎる、ティーンエイジャー、子ども向けの曲だと、全く気乗りしないで、ふざけて茶化したような歌い方をした、後半は音程を外したりもした、と言うんですね。

 

サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」を桑田佳祐さんが「田原俊彦」ふうにふざけて、わざと、舌っ足らずな口調で歌ったようなものでしょうか。

適当な歌い方が良かった?

ところがプロデューサーは、このイーディー・ゴーメの「投げやりで遊び心のあるテイク」が「これこそボサノバの気楽で楽しい雰囲気にぴったりだ!」と確信して採用した、とのこと。

イーディー・ゴーメ本人は、録音の際、夫さんのスティーヴ・ローレンスに対して「適当に歌って、さっさと終わらせて帰りましょう」と言ったそうですが、後年、「あんなに嫌って適当に歌った曲が、自分の代表曲になってしまった」と苦笑まじりに語っていたそうです。

なお、掛け合いのバックコーラスは、当時大流行りだったアメリカのガールズグループの一つ、そのヒット曲を、ビートルズハーマンズハーミッツもカバーしたことのある3人組の「クッキーズ(The Cookies)」です。

こちらはイーディー・ゴーメのオリジナル版。ステレオになっています。

Eydie Gormé「Blame It on the Bossa Nova」

youtu.be

私が素人耳で聞いた限りでは、イーディー・ゴーメの音程が外れているようには聞こえず、むしろ途中の間奏の楽器の音の方が、音程が外れているように聞こえるのですが、もし、専門家の耳にはイーディー・ゴーメの歌の音程が外れているように聞こえるのならば、それを誤魔化すために、プロデューサーがわざとそんな楽器の音を入れ込んだのかもしれないな、など思いました。

今回のお話

今回は、「恋はボサノバ」の原題「Blame It on the Bossa Nova」の意味「文句があるならボサノバに言って!」の歌詞を読んでみたら、「文句があるならボサノバに言って!」は、「ボサノバのせい」という意味で、私が恋したのは「ボサノバ」のせいなのだ、ボサノバはそれくらい素敵な、魔法のような音楽なんだよ、という、ボサノバの効能を歌った賞賛の歌だった、というお話でした。

前代未聞、客席エリアから指揮の「ウィーンフィル」2026年ニューイヤーコンサート「ラデツキー行進曲」

 

エンディングの曲では手拍子が慣行

毎年1月1日にNHKテレビでライブ放送される、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の「ニューイヤーコンサート」。

毎年、プログラムの最後、エンディングの曲は「ラデツキー行進曲」に決まっていて、演奏の際、観客が手拍子で参加することが慣例になっています。

手拍子を指揮者が指揮

「ラデツキー行進曲」は「行進曲」だけあって、手拍子を入れやすい曲なのですが、のべつ幕なしで手を叩いていても面白くない、という事でしょうか、曲が進んで行って、ここで手拍子を入れてくださいね、という箇所になると、なんと、指揮者が観客席の方に向かって手拍子の指揮をするのです。

それも、強弱を付けて、ここでは手拍子を小さめに、ここでは手拍子を大きめに、ここでは手拍子をやめて、ここでは手拍子を最大限に大きく!といった具合に細かく指示するので、観客も演奏に参加している、という感覚を味わえるわけですね。

始まったきっかけは?

もともとは、ナチスドイツにオーストリアが占領、併合されてしまった時、ナチスドイツ主導で開催されたチャリティコンサートが始まりで、観客はドイツ軍やオーストリア軍の軍人たちが多く、マナーに関係なく勝手に拍手や手拍子をするので、演奏を乱されてしまう、それならいっそのこと、拍手、手拍子を指揮してしまおう、という苦肉の策から始まったそうです。

このへんの時代背景は、映画「サウンドオブミュージック」でも描かれていますね。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c6/Sound_of_music.jpg

現在は、その手拍子の指揮のやり方も、その年に選ばれる指揮者の個性によってそれぞれ違うので、それを見るのも、「ニューイヤーコンサート」の見どころの一つになっています。

前代未聞の出来事が!

それにしても、手拍子に対する指揮のスタイルは、オーケストラに向かって指揮している指揮台に乗ったまま、手拍子を指揮する時には後ろを振り向いて観客に向かって指揮をして、演奏だけの時はオーケストラに向かう、というスタイルで、これはずっと変わりませんでした。

それが今回、「ラデツキー行進曲」の演奏が始まっても、そもそもの指揮者が指揮台にいない!

なんと、指揮者が観客席の通路に現れて指揮を始めたのです。

もっとも、指揮そのものについては形式通り、演奏だけの時はオーケストラに向かって指揮をして、手拍子の時には観客に向かって指揮をする、というパフォーマンスは維持しているのですが、なんと言っても、観客に対する指揮を、その観客の中でするのですから、観客は驚きながらの大喜び。

前代未聞の出来事に、ロックコンサートならもみくちゃになるところですが、そこは節度ある観客の皆さんなので、皆さん総立ちで、大ウケ大騒ぎなのですが、ルールからのはみ出し行動はせいぜいスマホで撮影するくらい。

指揮者は観客と同化するくらい、観客席の奥まで入り込んで行きましたが、曲の終盤になる頃にはちゃんとステージの指揮台に乗って、演奏を終了しました。

そのタイミングで番組本編としては終了なので、会場の天井を映した背景にエンドロールを流し始めましたが、尋常ならざる拍手や歓声が聞こえてました。会場はどんな様子だったのか、映像が見たかったですね。

www.web.nhk

中谷美紀さんの涙のわけ

その後、ゲストとしてコンサートを会場内で聞いた「中谷美紀(なかたにみき)」さんが、NHK現地特設スタジオに戻って来ましたが、感動のあまり涙ぐんでいました。感想を話そうとするのですが、ろくに言葉にならない様子。

中谷美紀さんはウィーンフィルのヴィオラ奏者の奥さんだそうですが、それほど感動するについては、前段があります。

「アンコール曲が3曲」

「ラデツキー行進曲」の前に演奏されるのが「美しく青きドナウ」ですが、この2曲は「アンコール曲」3曲のうちの、2曲目と3曲目としての扱いです。

プログラム本編が終わった、という所で、指揮者が花束をもらいます。

その、もらった花束をどうするか、についても、その時の指揮者の個性が表れるので、毎年のチェック箇所になってます。たいがい、近場にいるバイオリンの女性演奏者に渡しますね。

そして、ここから先も「お約束」の儀式なのですが、花束贈呈でひとしきり拍手があって、指揮者はいったん退場して、その間、拍手は続きます。2曲ともプログラム本編終了後のアンコール曲である、という建前なので。

そして、アンコール催促の拍手に迎えられた、という形で指揮者が再登場して、アンコール曲の1曲目を演奏するのですが、今回は「サーカス」という曲でした。

「サーカス」の演奏も、楽しい演奏で、団員が声を出したり、指揮者が声出しを観客に促したり、打楽器奏者がサーカスでの「ムチの音」を出すための拍子木を、指揮者に向かって「パチン、パチン」と打ち合わせて、指揮者もムチに打たれてしまったり避けたりするジェスチャーをして応えます。

曲の最後には、指揮者が譜面台の足元に隠していた大型の拍子木で「バッチン」と逆襲する、というオチも用意されていました。

曲が始まってすぐの拍手

さて、アンコール1曲目に対する拍手がおさまって静かになったところで、おもむろに、A(ラ)音のバイオリンのピアニッシモ、一番小さな音のトレモロで「美しく青きドナウ」の演奏が始まります。

その次にホルンの音がします。

ところが、曲が始まってすぐに、演奏にかぶせるように観客は拍手をするのです。

これもお約束です。

そこで、しょうがないなあ、という感じで指揮者は演奏を中止して、観客席に向きあい、MCとしてちょっとしたスピーチをします。

このスピーチの内容も指揮者によって違うので、毎年、注目を集めて話題になります。

その後、「私と楽団員から皆様に」と言って、指揮者と楽団員が声を合わせて客席に向かって「新年おめでとう」と言います。

それから、おもむろに、本番の演奏を始めることになっているのです。

スピーチ儀式の由来

この儀式も、始まったきっかけは、コンサートの観客たちの「おお、この曲は知ってるぞ〜待ってました!やんややんや」という意味での、演奏が始まってからの拍手なんですね。

演奏途中では拍手をしない、というコンサートマナーなどは知らなかった人も多かったと思われます。

その時は、指揮者も、「お気持ちは分かるし、嬉しいのだけれど、本当は静かに演奏を聴いてもらいたいんだよね〜、特にこの曲の最初はとても小さな音なので、、、」という事で、そこでいったん演奏を止めて、この曲についてのお話か、関連の話題をお話しして「やんややんや」の場を静めた、といういきさつなんだろうなと想像します。

指揮者「ヤニック・ネゼ=セガン」のスピーチ・原文と日本語訳

今回のスピーチは、カナダ人である指揮者「ヤニック・ネゼ=セガン」の母国語フランス語と、世界共通語である英語で行われ、そして、最後にドイツ語での恒例のご挨拶が、オーケストラ全員からありました。

まず「美しく青きドナウ」の演奏が始まったところで拍手が起こり、指揮者セガンが演奏を止めます。そして観客の方を振り返ります。

(英語)

"Please do not worry, we will play it"
どうぞ心配しないで、私たちはたぶんこの曲を演奏するでしょう。

(観客の笑い声)

 

(ドイツ語)

In Französisch mein Muttergespräch.
(最初は)フランス語で、私の母国語で(話します)。

 

(フランス語)

Les membres de l'Orchestre philharmonique de Vienne et moi-même,
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーと私から、

on vous souhaite surtout une chose cette année.
今年、特に一つ、皆さまに訪れるようにお祈りしたいことがあります。

La paix.
平和です。

La paix dans votre cœur.
あなたの心の中の平和。

La paix avec les gens qui vous entourent.
あなたの周りの人々との平和。

Et surtout, la paix entre toutes les nations du monde.
そして何より、世界中すべての国々の間の平和です。

 

(英語)

With peace comes kindness.
平和になれば、優しさが生まれます。

Or should I say,
あるいは、むしろ私はこう言うべきでしょう。

only with kindness comes peace.
優しさがあってこそ、平和が生まれるのだと。

So I wish also, all of us, kindness.
ですから私はまた、私たちみんなに『優しさ』が届くことも願っています。

Kindness in our hearts,
私たちの心の中にある優しさ、

kindness toward one another,
 お互いに向けられる優しさ、

kindness in accepting each others differences and celebrating them.
そして私たちお互いの「違い」を受け入れて、それを褒め称え合う優しさです。 

Music can unite all of us
音楽は、私たちみんなを一つにすることができます。

because we live on the same planet."
なぜなら、私たちは同じ惑星の上に生きているのですから。」

 

(ドイツ語)

Die Wiener Philharmoniker und ich wünschen Ihnen.
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と私は、皆さまに幸せな新年をお祈りいたします。 

Prosit Neujahr!
新年おめでとうございます!

このスピーチがあったので、それに続く「美しく青きドナウ」の、ウィンナワルツ特有の、2拍目を先取り食い気味の、シンコペーション的な動きで浮遊感を出しまくる、独特な3拍子での、情緒たっぷりの演奏で感情を揺さぶられたあとに加えて、「ラデツキー行進曲」での「指揮者客席に乱入」の大騒ぎも相まって、中谷美紀さんは感動の嵐だったのだと思います。

www.web.nhk

 

今回のお話

今回は、「ウィーンフィル」2026年1月1日ニューイヤーコンサートの「美しく青きドナウ」直前の、ドイツ語、英語、フランス語を駆使した指揮者「ヤニック・ネゼ=セガン」のスピーチと、前代未聞、指揮者みずから、客席エリアに入り込んでの指揮となった「ラデツキー行進曲」の様子などをお知らせしました。

再放送 : NHK・ Eテレで2026年1月10日(土)午後2:00から4:45まで

「マドモワゼル・ド・パリ」の聴き比べ、「ジャクリーヌ・フランソワ」と女声コーラス「レ・ジン」

定番は「ジャクリーヌ・フランソワ」

フランス、シャンソンの名曲「パリのお嬢さん(Mademoiselles de Paris=マドモワゼル・ド・パリ)」と言えば、ジャクリーヌ・フランソワ(Jacqueline François)さんの歌で知られていますね。

なぜかと言うと、この曲は1948年のフランス映画 "Scandale aux Champs-Elysées"(「シャンゼリゼでのスキャンダル」、公開時の邦題「パリのスキャンダル」)の劇中歌として、彼女が歌ったからなのです。

youtu.be

この曲は、パリの「リヴォリ通り」に立ち並ぶ、いわゆるオートクチュール(高級仕立服)店の裏側を支えている、無名の女性職人たち(「小さな手」を意味する 「petite main(プティト・マン)」と呼ばれます)の生活を唄った歌です。

上の映像の中に日本語訳も出るのですが、この映像を見る前に翻訳してしまったもので、一応私の訳文も書いておきます。

Mademoiselle de Paris 歌詞
パリのお嬢さん

On l'appelle Mademoiselle de Paris
人は彼女をパリのお嬢さんと呼ぶ

Et sa vie c'est un petit peu la nôtre
そして彼女の人生、それはちょっとだけ、私たちの人生でもある

Son royaume c'est la rue d'Rivol
彼女の王国、それは「リボリ通り」

Son destin, c'est d'habiller les autres
彼女の運命、それは人に服を着せること

 

On dit qu'elle est petite main
人は彼女を裏方のお針子さんだと言う

Et s'il est vrai qu'elle n'est pas grande
そして、もし彼女が表に出ないことが本当だとしても

Que de bouquets et de guirlandes
どれほどのブーケや花飾りを

A-t-elle semés sur nos chemins.
彼女は振りまいてくれただろう、私たちの進む道の上にね  


Elle chante un air de son faubourg
彼女は彼女の住む下町の歌を口ずさむ

Elle rêve à des serments d'amour
彼女は「愛の誓い」を夢にみる

Elle pleure et plus souvent qu'à son tour
彼女は泣くんだ、人並み以上にね

Mademoiselle de Paris
パリのお嬢さんはね


Elle donne tout le talent qu’elle a
彼女は才能の全てを捧げるんだ

Pour faire un bal à l'Opéra
オペラ座の舞踏会の衣装を作るためにね

19世紀パリオペラ座の仮面舞踏会

Et file, à la porte des Lilas
そして急ぐんだ、彼女が住んでる「リラの門」街区へ

Mademoiselle de Paris
パリのお嬢さん

 

Il fait beau
いい天気だ

Et là-haut
そしてあの高いところで

Elle va coudre un cœur à son manteau
彼女はハートを縫い付けるのさ、彼女のマントにね

 

Mais le cœur d'une enfant de Paris
でも、パリの女の子の心は

C'est pareil aux bouquets de violettes
スミレのブーケみたいなもの

On l'attache au corsage un samedi
土曜日にそれを胸に付けて

Le dimanche on le perd à la fête
日曜日のお祭りでそれを無くしてしまう

 

Adieu guinguette, adieu garçon
さよなら、ダンスホール、さよなら、男の子

La voilà seule avec sa peine
彼女はほら、つらい気持ちを抱えて一人ぼっち

Et recommence la semaine,
そして、また始まる、1週間が、

Et recommence la chanson
そして、また始まる、この歌がね

 

Elle chante un air de son faubourg
彼女は彼女の住む下町の歌を口ずさむ

Elle rêve à des serments d'amour
彼女は「愛の誓い」を夢にみる

Elle pleure et plus souvent qu'à son tour
彼女は泣くんだ、人並み以上にね

Mademoiselle de Paris
パリのお嬢さん


Elle donne un peu de ses vingt ans
彼女は捧げる、自分の二十歳の若さを少しだけ

Pour faire une collection d'printemps
春のコレクションを作るためにね

Et seule s'en va rêver sur un banc
そして、一人で夢見るためにベンチに行く

Mademoiselle de Paris
パリのお嬢さんは

 

Trois petits tours
3回、小さくターンしてから、

Un bonjour
1回「こんにちは」をすれば、それで

Elle oublie qu'elle a pleuré d'amour
彼女は、愛のために泣いたことを忘れるのさ


Elle vole à petits pas pressés
彼女は飛んで行く、小走りに急いで

Elle court vers les Champs Elysées
彼女はシャンゼリゼ通りへと駆けていく

Et donne un peu de son déjeuner
そして捧げるのさ、彼女のランチをちょっとだけね

Aux moineaux des Tuileries
スズメたちにね、チュイルリー公園のさ

 

Elle fredonne
彼女はハミングをして

Elle sourit...
彼女は微笑むんだ、、、

Et voilà Mademoiselle de Paris.
そして、ほら、それが、パリのお嬢さんなのさ

 

作詞:
アンリ・コンテ(Henri Contet)

作曲:
ポール・デュラン(Paul Durand)

「エド・サリバン・ショー」の「ジャクリーヌ・フランソワ」

こちらは「ジャクリーヌ・フランソワ」が、アメリカの名物テレビ番組、「エド・サリバン・ショー」に出演した時の映像です。

日本では、半世紀以上前の昔は、外国人歌手が歌っている映像を見ることは皆無、と言ってもいいくらいの時代でした。

インターネットが当たり前になった現在、当時はラジオで名前と声だけでしか知らなかった外国人歌手の映像を、YouTubeでいつでも見られるようになったので、いい時代になったものだとつくづく思います。

実際に動く映像として見るジャクリーヌ・フランソワさんは、とても表情豊かで、魅力的ですね。

歌詞は、オリジナルとはちょっと違っています。

Jacqueline François "Mademoiselle De Paris" on The Ed Sullivan Show

youtu.be

女声コーラスによる「マドモワゼル・ド・パリ」

というわけで、「マドモワゼル・ド・パリ」と言えば「ジャクリーヌ・フランソワ」の歌唱が定番なのですが、私が若い頃、もう50年以上前になりますが、フランス語を勉強していた頃に、NHKラジオのシャンソンを流している番組をよく聞いていて、そこで紹介されて流れていたのは、女声コーラスによる「パリのお嬢さん(Mademoiselles de Paris=マドモワゼル・ド・パリ)」だったのです。

そこで歌っていたのは、高校生くらいの声かなと思われる女声のコーラスで、その爽やかで美しい歌声にのせたメロディーとハーモニーは、私のパリへの憧れを大いに醸成してくれたものです。

その曲がネット上にないものかと、時々YouTube界隈を探していましたが、ずっと見つからずにいました。

ところが、今になってようやく見つかったのです。

50数年ぶりの再会で感動しました。

歌っているのは1960年代に活躍したLes Djinns (レ・ジン)という名前のコーラスグループ でした。

Les Djinns (レ・ジン)とは、「アラジンと魔法のランプ」のランプの妖精「ジーニー」のような「精霊たち」あるいは、「魔人たち」という意味だそうです。

 Les Djinns (レ・ジン)「Mademoiselles de Paris(マドモワゼル・ド・パリ)」

youtu.be

Les Djinns(レ・ジン)は、フランスの「宝塚」か「AKB48」か

解説によると、女性コーラスグループ「Les Djinns(レ・ジン)」は、フランスの合唱団で、9 歳から 18 歳までの 60 人の少女で構成されていました。

1959 年、フランス政府は、国内のラジオおよびテレビ業界への演奏人材の供給を確保するために、女子生徒に音楽科目を指導する「マスター スクール」を組織。

「マスタースクール」では、女子生徒は午前中に標準的な学問科目のカリキュラムをこなし、午後に音階、発声技術、ハーモニー、合唱発声などの音楽コースを受講。

「マスタースクール」卒業後に、彼女たちはコーラスグループ 「Les Djinns (レ・ジン)」に入ることになります。

この辺のシステムは、日本の「宝塚」などに似てますね。

kageki.hankyu.co.jp

女子の大人数コーラスグループ、ということでは「AKB48」などにも似ているかも。

今回のお話

今回は、「マドモワゼル・ド・パリ」を、その創唱者である「ジャクリーヌ・フランソワ」と、女声コーラス「レ・ジン」の歌唱で聴き比べてみました。

「ジャクリーヌ・フランソワ」は、もはや貫禄で、言ってみれば客観的に物事が見られる「親」の世代。

落ち着いた声と歌い方なので、安心して聞けますね。

一方、女声コーラスグループ「レ・ジン」の方は、歌に歌われている「パリのお嬢さん」と同年代の、言ってみれば当事者感のある女の子の世代が歌っている、ということで、とてもリアルに訴えかける「説得力」があるように思います。

「ジュークボックス」で聞いた「そして神戸」

 

劇団内ロマンス

私が浪人して入学した大学は学生運動の真っ只中。

ろくに授業のない期間が多く、もて余した私は、一般のアマチュア劇団に入って、いくつかの公演(というより「発表会」に近い?)をこなしました。

私の同期は4名、男性は私1人、残り3名は女性。

その後は最大で10数名くらいになりましたが、団員は皆、20歳前後の若者たち。

劇団(当初は「演劇グループ」という肩書きでした)の主催者カップルはちょっと年上でしたが、まだ「若者」と呼ばれる年代でした。

若い男女が集まれば、必然的にロマンスも生まれます。

出会いと別れ

ここでご紹介するロマンス事件の主役の男性は、劇団に途中から入って来た新入りの男性団員で、ストレートヘアーにグラデーションのサングラス、肩に羽織ったセーターの両袖を胸の前で結ぶという、いわゆる「プロデューサー」的いでたちが似合う、一見、「つかこうへい」に似た、物静かな雰囲気の人でした。

ロマンス劇のもう一方の主役である女性は、元から劇団にいた、私と同期の女性団員の一人で、ジーパンにスニーカー、白と紺のツートンカラーのパーカーが似合う、ボブヘアーで元気いっぱい、感情豊かな人でした。

しばらくして二人は、良い感じの関係になりました。

しかし、さらにしばらく経つと、なんと、その男性団員は、入団前に付き合っていて別れた女性と、よりを戻した、ということで、結局退団することになったのでした。

ジュークボックスからカラオケへ

残されて傷心の女性団員を慰めようと、事情を知る団員みんなで練習後、パブで飲むことになりました。

当時はパブやスナックでも「カラオケ」は、まだありませんでした。

ラジオの音楽番組で、ボーカルトラックだけを抜いた、演奏のみの、いわゆる「カラオケ」が流れたのは、1973年の南沙織のヒット曲「傷つく世代」だったと記憶しています。

おお〜すごいすごい、カッコいい〜!と興奮したものです。

そのイントロのギタープレイが、ロックバンド「デレク&ザ・ドミノズ」の「エリック・クラプトン」がギターとボーカルを担当した1971年のヒット曲「レイラ」から取られたギターフレーズだと、もっぱらの評判でした。

こちらが、その「カラオケ」版「傷つく世代」。

カラオケ・南沙織「傷つく世代」

youtu.be

この、ボーカルトラックだけ抜く、という手法は、ビートルズ、ジョージ・ハリスン作詞作曲の「While My Guitar Gently Weeps 」終盤での、ボーカルのジョージ・ハリスンが何小節か途中で黙ってしまって伴奏のみが続いて行く、というカッコいいアレンジから始まったのではないかと、個人的に思っています。

そう言えば、そのビートルズの「While My Guitar Gently Weeps 」でも、ギター独奏しているのは「エリック・クラプトン」なので、「エリック・クラプトン」は日本の「カラオケ」の陰の恩人と言えるかも。

そんな時代から、現在見るようなカラオケの隆盛が始まるまでは、あっという間でした。

なので、劇団のその「ロマンス事件」は、カラオケ発祥の前年である1972年の出来事だったので、パブなどでは完全にジュークボックスが主流でした。

ジュークボックスに誰かが硬貨を投入して、ボードに並んでいる曲名から好きな曲をアルファベットと番号の押しボタンで選ぶと、そのレコードが自動演奏されるのです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/42/Dscn2823-Wurlitzer-3500-Zodiac-On.jpg

その選曲が良かったり、自分の好みと同じ曲がかかったりすると、「おっ、この曲入れたの誰?」「あっちのテーブルのあの子らしいよ」とかで盛り上がるわけです。

そこで傷心の女性団員がジュークボックスでかけた曲が「そして神戸」。

曲が進むにつれ、彼女はジュークボックスに抱きついて、突っ伏して、号泣してしまいました。

それ以来、「そして神戸」を聞くと、その時の情景が目に浮かびます。

内山田洋とクールファイブ「そして神戸」

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そして神戸 歌詞

1)

神戸 

泣いてどうなるのか
捨てられた我身(わがみ)が 

みじめになるだけ


神戸

船の灯(あかり)うつす
濁り水の中に

靴を投げ落す


そして ひとつが 終わり
そして ひとつが 生まれ

 

夢の続き

見せてくれる

相手

捜すのよ


2)

神戸

呼んで帰る人か
傷ついた心が

みにくくなるだけ


神戸

無理に足を運び
眼についた名もない

花を踏みにじる


そして ひとつが 終わり
そして ひとつが 生まれ

誰か うまい

嘘のつける
相手 捜すのよ

誰か うまい

嘘のつける

相手 捜すのよ

 

作詞:千家和也
作曲:浜圭介

 

歌詞の「♪ そしてひとつが」のところの跳躍音階は、歌うのがとても難しいと思います。前川清さんは上手に歌いますね。

それにしても、「うまい嘘のつける相手」を捜す、ということは、「今終わった相手」は、嘘のつけない正直者だった、ということなのでしょうか。

私は男女間の気持ちの機微について、どうも理解が追いつかないので、詩人にはなれないなあ、と思います。

今回のお話

今回は、内山田洋(うちやまだひろし)とクールファイブの「そして神戸」を聞くと、ジュークボックスに抱きついて泣いていた女の子を思い出す、というお話でした。

その女の子は、他の団員と同棲を始めて二人して引退、1年後には赤ちゃん誕生で、数名の団員たちでお祝いのためにお宅に伺いました。

 

お子さんもお二人も幸せいっぱいで、みんなで安心したものです。

ただ、元気いっぱいでピチピチだった彼女も、元気いっぱいなのは変わりませんが、顔に法令線のシワが刻まれていたのでびっくり、出産というのはやはりそれほどの大仕事なんだな〜と納得したものです。

 

ところで、「ジュークボックス」、今もあるのでしょうか。

最近の私は、パブやらスナック界隈にはとんと行かなくなったので、最新事情は知らないのですが、たまたま、そんなCMを見かけたもので。

ん?そもそも「パブ」とか「スナック」とか、もう言わないのか?

「バケツの穴」は、最後の歌詞が曲の最初に戻る「どうどうめぐり」の歌だった

 

NHK「みんなのうた」にハマる

私は青春の一時期、NHKの「みんなのうた」にハマったことがありました。歌謡曲や洋楽のあまりピンと来ない曲に比べたら、よっぽど、明るかったり楽しかったり、叙情的だったりで、素晴らしい曲ばかりではないかと感じたのです。

NHKから楽譜を送ってもらったりして、すっかり「みんなのうた」マニアになっていたのですが、中でも面白いと思ったのが、私が19歳だった年、1968年8月に放送された「バケツの穴」。

バケツにあいた穴を塞ぐためにはどうすれば良いのかを、大人と子供たちで考えて行くものの、結局バケツが必要になるので困ったな、という他愛もない歌なのですが、なんだかすごく気に入りました。

私は当時大学受験の浪人中で、言ってみれば「堂々めぐりの繰り返し」の真っ只中だったわけで、今考えてみると、自分の境遇に照らし合わせて、共感するものを覚えたのかも。

当時は和田誠さんのアニメーションが付いていましたが、こちらの映像は音源のみです。

編曲を担当したのが、当時はフォークやグループサウンズのイメージが強かった東海林修✳︎(しょうじおさむ)さんですが、なかなか「ジャジー」でノリの良いドラムス✳︎✳︎が気持ち良いです。

✳︎「名犬ロンドン」のテーマソングも東海林修さんの編曲だそうです。

✳︎✳︎ドラム、調べたら、ジャズドラマーの石川晶(いしかわあきら)さんでした。

バケツの穴 / 熊倉一雄、東京放送児童合唱団

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「バケツの穴」歌詞

緑色文字は熊倉一雄さん、
茶色文字は子供たちのパートです。

 

1    

バケツに穴が 

穴があいてる
穴あきバケツじゃ 

困っちゃう


困ってないで 

直しておくれよ
バケツの穴を 

ふさいでよ

 

2    

でも、ふさぐって何で 

何でふさごか
何でふさげば 

直るかな


直るよ ワラを 

ワラを詰(つ)めれば
ワラを詰めれば 

直っちゃう

 

3    

え〜、ワラは長いよ 

詰めるにゃ長い
ワラは長くて 

弱っちゃう


弱ってないで 

短くお切りよ
短く切れば 

詰まっちゃう

 

4    

でも、切るのは 何で 

何で切ろうか
何で切ろうか 

迷っちゃう


迷ってないで 

ナイフよナイフ
ナイフでザックリ 

切っちゃうの   

 

【間奏】

 

5    

ナイフはあるけど 

錆(さ)びてる 真っ赤に
赤錆(あかさび)ナイフじゃ 

お手あげだ


赤錆ナイフも 

研(と)げば ピカピカ
研げばピカピカ 

よく切れる

 

6    

はい、研ぐよ 研ぐよ 

研ぎます研ぐけど
何で研ごうか 

考える


や〜だ 研ぐのは 

砥石じゃないの
ナイフは 砥石で

研ぐものだ

 

7  

 ん〜砥石は乾いて 

カラカラ砥石
カラカラ砥石じゃ 

研げやせぬ


とんまね 砥石は 

乾いた砥石は
お水でぬらして 

研ぐものだ

 

8    

分った ぬらすよ 

ぬらしはするけど
その水 何で

汲もうかな


どうだろうね 汲むのは

バケツじゃないの
お水はバケツで 

汲むものだ

 

はあ〜、バケツにゃ 

穴が穴があいてる
穴あきバケツじゃ 

、、、汲めないよ

汲めないじゃない 

え〜〜〜っ!?

 

佐藤 一公 訳詞
東海林 修 編曲  

とんまね」という、今ではあまり聞くこともなくなった、ほのぼの言葉の歌詞には笑ってしまいます。

このような展開の末に、8番で結局バケツを使うことになるのですが、そもそもそのバケツに穴が開いているので、また1番の歌詞に戻ってしまう、というオチの歌ですね。

しかし、このままでは、いつまでたっても繰り返しの「堂々めぐり」にハマってしまって、終わりが無いので、9番に無理やり引き込んで、強制的に終わらせてます。

「ジェリー藤尾」と「渡辺知子」版

私はこの曲は「みんなのうた」のオリジナルだとばかり思っていましたが、この「みんなのうた」版の6年前の1962年に、ジェリー藤尾(ふじお)さんと渡辺知子(わたなべともこ)さんが、歌詞がちょっと違いますが、同じ曲をレコードにしているのでした。

歌詞は映像の中に出て来ます。

全体的なノリがどうもコテコテの昭和なのですが、考えてみれば、コント55号もドリフターズもコテコテでしたね。

「ジェリー藤尾」と「渡辺知子」穴のあいたバケツ (バケツの穴)There's a Hole in the Bucket

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この曲の訳詞をしたのが青島幸男(あおしまゆきお)さん。

「訳詞」という事は、元になる曲が他にあったわけで、しかもその歌詞は外国語ということになりますね。

つまり、この曲の元々の曲は外国の曲だったのです。

「ハリー・ベラフォンテ」と「オデッタ・ホームズ」版

それでは、その元になった外国曲は何かと言うと、 Hole in the Bucket(バケツの穴)というアメリカの「ハリー・ベラフォンテ」と「オデッタ・ホームズ」が歌った曲で、全英34位のヒット曲なのでした。

こちらがその曲を歌っている映像です。

フォーク歌手の「オデッタ・ホームズ」が、何かの曲を歌い終わってギターを置いて、そこに「ハリー・ベラフォンテ」が、窓から話しかけるところから始まってますね。

Harry Belafonte & Odetta - A Hole in the Bucket (Live)

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Harry Belafonte & Odetta - A Hole in the Bucket (Live)歌詞

ハリーのパートは緑色文字

オデッタのパートは茶色文字にしてあります。



That was a goodie
すごく良かった!

Yeah that was a goodie 
イエー、すごく良い歌だった、

goodie goodie.

良かった良かった。

 

Tell me something
ところで、なぞなぞとかしない?

Why can't a mouse eat a street car
なぜネズミは路面電車を食べられないんだい

 

We'll have none of that foolishness
そんな馬鹿なことはしないよ

Why don't you go fetch the water
水を汲みに行って来てくれない?

Go do what ?
何をしに行くって?

Go fetch the water
水を汲みに行って来てよ

 

【音楽】

 

1)

There's a hole in the bucket, 
バケツにゃ穴があいてるんだ、

dear Liza, dear Liza

愛(いと)しいライザ、愛しいライザ

There's a hole in the bucket, 
バケツにゃ穴があいてるんだよ、

dear Liza, a hole

愛しいライザ、穴がさ

 

Well, fix it dear Henry, 
なら、穴をつめてよ、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー
So fix it dear Henry, 
だから、穴をつめてよ、

dear Henry, fix it

愛しいヘンリー、穴をつめて

 

2)

With what shall I fix it, 
何で穴をつめようかな、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

With what shall I fix it, 
何で穴をつめようかな、

dear Liza, with what?

愛しいライザ、何で?

 

With straw, dear Henry, 
ワラでよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

With straw, dear Henry, 
ワラでよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, with straw

愛しいヘンリー、ワラでよ

 

3)

Oh the straw is too long, 

おお、ワラは長すぎるよ、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

The straw is too long, 

ワラは長すぎるよ、

dear Liza, too long

愛しいライザ、長すぎる

 

Cut it! dear Henry, 

ワラを切ってよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

Well, cut it dear Henry,

ねえ、ワラを切ってよ、

 dear Henry, cut it! 

愛しいヘンリー、ワラを切って!

 

4)

With what shall I cut it, 
ワラは何で切ろうかな、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

With what shall I cut it, 
ワラは何で切ろうかな、

dear Liza, with what?

愛しいライザ、何で?

 

With an axe! dear Henry, 
斧(おの)でよ!愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

With an axe, dear Henry,
斧でよ、愛しいヘンリー、

with an axe!

斧で!

 

5)

The axe is too duller, 
斧は切れ味鈍(にぶ)すぎ、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

The axe is too duller, 
斧は切れ味鈍すぎ、

dear Liza, too dull

愛しいライザ、鈍すぎだ

 

Hone it, dear Henry, 
斧を研(と)いでよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

Well, hone it, dear Henry, 
さあ、斧を研いでよ、愛しいヘンリー

dear,,, sharpen it!

愛しい、、、シャープにね!

 

6)

On what shall I hone it, 
何で砥石を研ごうか、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

On what shall I hone it, 
何で砥石を研ごうか、

dear Liza, with what?

愛しいライザ、何で?

 

On a stone, dear Henry, 
砥石でよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

On a stone, dear Henry, 
砥石でよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, on a stone!

愛しいヘンリー、砥石で!

7)
But the stone is too dry,
砥石は乾きすぎだよ、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

The stone is too dry, 
砥石は乾きすぎだよ、

dear Liza, too dry

愛しいライザ、乾きすぎ

 

Wet it, dear Henry, 
砥石を濡(ぬ)らしてよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

Well, wet it dear Henry,
あのね、砥石を濡らしてよ、愛しいヘンリー、

dear Henry, wet it

愛しいヘンリー、砥石を濡らして!

 

8)

With what shall I wet it, 
何で砥石を濡らそう、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

With what shall I wet it, 
何で砥石を濡らそう、

dear Liza, with what?

愛しいライザ、何で?

 

Try water, dear Henry, 
水でやってみて、愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

Try water, dear Henry, 
水でやってみて、愛しいヘンリー、

dear Henry, use water!

愛しいヘンリー、水を使うの!

 

9)

In what shall I fetch it, 
水は何に入れて持ってこようか、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

In what shall I fetch it, 
水は何に入れて持ってこようか、

dear Liza, in what?

愛しいライザ、何に入れて?

 

In a bucket, dear Henry,
バケツに入れるの、愛しいヘンリー、

dear Henry, dear Henry

愛しいヘンリー、愛しいヘンリー

In a bucket, dear Henry,
バケツに入れるの、愛しいヘンリー、

in a bucket, in a bucket!

愛しいヘンリー、バケツに入れるの!

 

10)

There's a hole in the bucket, 
バケツにゃ穴があいてる、

dear Liza, dear Liza

愛しいライザ、愛しいライザ

There's a hole in the bucket, 
バケツにゃ穴があいてるんだ、

dear Liza, a hole

愛しいライザ、穴がさ

自分で考えないで、いちいちお伺いを立てる「ヘンリー」役の「ハリー」(そう言えば「ハリー」は「ヘンリー」の愛称ですね)に対して、基本的には優しくて甘い歌声である「ライザ」役の「オデッタ」が、質問に答えるその一瞬だけ「マジ」になる表情と、キッパリとした声が、対比的な笑いを誘いますね。

この歌詞をよく読んでみると、日本語版の「9番」までの歌詞より長くなっていて、「10番」まであります。

両者を照らし合わせてみると、日本語版は、英語版の「砥石は水で濡らすんだ」という(8)番と、その水はどうやって持ってこようかという(9)番の内容をまとめて(8番)にしているので、英語版より1番分、短くなっているのでした。

「ワラ」は「straw(ストロー)」

また、ワラのことを英語ではstraw(ストロー)と言うんですね。

昔は、実際にワラを現在の「ストロー」の役割をするものとして使っていたので、現在のストローも、そのまま「ストロー(ワラ)」という名前なのだそうです。

幸せな休日, カクテル, 飲み物, アルコール, アルコール依存症, ガラス

麦わら帽子のことを「ストローハット」と呼ぶのも、ここから来ているんですね。

さらに元々はドイツ語、フランス語圏が発祥

アメリカ版がヒットして、日本語版もアメリカ版を踏襲しているので、アメリカ版が元祖と思われていますが、実は年代的にドイツ、フランスあたりが発祥らしいんですね。

いずれもメロディーが、よく知られているメロディーとは違うのですが、最後のオチが「バケツに穴があるから水が汲めない」となっていて、最初の歌詞に戻って行く構造になっているのは共通しています。

ドイツ語版

ドイツ語版はいろいろパターンがありますが、タイトルが「Heinrich und Liese(ハインリッヒとリーゼ)」という男女の名前になっていて、女性の「リーゼ」がいちいち質問する方、男性である「ハインリッヒ」の方が答える役になってます。

こちらのバージョンでは見たところ、「バケツ」が「なべ」になってますね。

Wenn der Topf aber nu ein Loch hat
(しかし、鍋に穴が開いていたらどうなるでしょうか?

youtu.be

 

そして、こちらのアニメーションバージョンでは、「ハインリッヒ」はゾウさんで「リーゼ」はアヒルなのですが、やり取りにかなり感情が入っているように聞こえるので、日本の「ジェリー藤尾」と「渡辺知子」バージョンとちょっと似ています。

Wenn der Topf aber nun ein Loch hat (でももし鍋に穴があいていたら)

youtu.be

私はドイツ語はほとんど分からないのですが、どうやら内容は同じようですね。

ただ、英語版と同じ内容を歌っているのでしょうが、相手に対する呼びかけの言葉「愛しい」とは裏腹に、半分怒っているように聞こえるのはドイツ語の特性なのでしょうか。

 

フランス語版

フランス語版のタイトルは「Chère Élise(愛しのエリーズ)」となっています。

ドイツ語版の、相手のことを「愛しい」と思っているとはとても思えない歌い方とは全く違って、「愛しい」という形容詞そのままのイメージの、とても優しいかけ合いになっていると思います。

特に最後のエリーズの決めゼリフ、「"avec un seau. (アヴェカンソ) " バケツでよ」が、「これがオチだよ」というニュアンスの、笑いを含んだ声なのが、とても良いですね。

アニメの「バケツ」は「桶(おけ)」のようにも見えますが、「seau(ソ)」には「バケツ」という意味も「桶(おけ)」という意味もあります。

木製のバケツ, 水, 木材, バケツ, オレンジ, カラフル, フロー, 自然

「ウジェーヌ (Eugène)」という名前の男の子がいちいち質問して、「エリーズ(Élise)」という女の子が答える形式になっています。

ドイツ語版とは男女が逆の立場なので、その辺にも国民性の違いが表れているのかな、など考えますね。

Chère Élise(愛しのエリーズ)

youtu.be

Chère Élise(愛しのエリーズ)歌詞

「ウジェーヌ」のパートは緑色文字

「エリーズ」のパートは茶色文字にしてあります。

1)

Avec quoi 
何で

faut-il chercher l'eau,

水を汲むべき?

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Avec quoi 
何で

faut-il chercher l'eau,

水を汲むべき?

 

Avec un seau, 
バケツでよ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
愛しいウジェーヌ、

avec un seau.

バケツでよ

 

2)

Mais le seau,
でもバケツには、

il est percé,

穴があいてるよ、

Chère Élise, chère Élise
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Mais le seau, 
でもバケツには、

il est percé...

穴があいてるよ、、、

 

Faut le boucher, 
穴は塞(ふさ)がなくちゃ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
愛しいウジェーヌ、

faut le boucher.

穴は塞がくちゃ。

 

3)

Avec quoi 
何で

faut-il le boucher?

穴を塞ぐべき?

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Avec quoi 
何で

faut-il le boucher ?

穴を塞愚べき?

 

Avec d'la paille, 
ワラでよ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
愛しいウジェーヌ、

avec de la paille.

ワラでよ。

 

【転調】

 

4)

Mais la paille 
でもワラは

n'est pas coupée,

切れてないよ、

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Mais la paille 
でもワラは

n'est pas coupée...

切れてないよ、、、

 

Faut la couper, 
ワラを切らなくちゃ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
愛しいウジェーヌ、

faut la couper.

ワラを切らなくちゃ

 

5)

Avec quoi 
何で

faut-il la couper?

ワラを切るべき?

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Avec quoi 
何で

faut-il la couper ?

ワラを切るべき?

 

Avec une faux,
鎌(かま)でよ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
私の愛しいウジェーヌ、

avec une faux.

鎌でよ。

 

6)

Mais la faux 
でも鎌は

n'est pas affûtée,

研(と)げてないよ?

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Mais la faux 
でも鎌は

n'est pas affûtée...

研げてないよ、、、

 

Faut l'affûter, 
鎌を研がなくちゃ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène 
私の愛しいウジェーヌ、

faut l'affûter.

鎌を研がなくちゃ。

 

7)

Avec quoi 
何で

faut-il l'affûter,

鎌を砥ぐべき?

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Avec quoi 
何で

faut-il l'affûter ?

鎌を砥ぐべき?

 

Avec une pierre,
砥石でよ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
愛しいウジェーヌ、

avec une pierre.

砥石でよ。

 

【転調】

 

8)

Mais la pierre 
でも、砥石は

n'est pas mouillée,

濡(ぬ)れてないよ

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Mais la pierre 
でも、砥石は

n'est pas mouillée...

濡れてない、、、

 

Faut la mouiller,
砥石を濡らさなくちゃ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
愛しいウジェーヌ、

faut la mouiller.

砥石を濡らさなくちゃ。

 

9)

Avec quoi 
何で

faut-il la mouiller,

砥石を濡らそうか?

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Avec quoi 
何で

faut-il la mouiller ?

砥石を濡らそうか?

 

Avec de l'eau, 
水でよ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
愛しいウジェーヌ、

avec de l'eau !

水で!

 

10)

Avec quoi 
何で

faut-il chercher l'eau,

水を汲めばいい?

Chère Élise, chère Élise,
愛しいエリーズ、愛しいエリーズ

Avec quoi 
何で

faut-il chercher l'eau ?

水を汲めばいいのかな?

 

Avec un seau, 
バケツでよ、

mon cher Eugène,

私の愛しいウジェーヌ、

Cher Eugène, 
私の愛しいウジェーヌ、

avec un seau.

バケツでよ。

 

今回のお話

今回は、1968年のNHK「みんなのうた」で発表された「バケツの穴」は最後の歌詞でまた最初の歌詞に戻ってしまう、という仕掛けの「堂々めぐり」の歌だった、というお話でした。

それぞれ、相手に対する呼びかけに英語で「dear」ドイツ語で「liebe」フランス語で「cher」、日本語で言うところの「愛しの」とか「愛する」という意味の形容詞がいちいち付いているのが面白いですね。

日本語にはなかなか無い表現だと思います。

名前の由来

なお、雑学ですが、

・英語の「ヘンリー」はドイツ語の「ハインリッヒ」、フランス語の「アンリ」に相当して、もともとはドイツ語古語の「ハイムリッヒ(家の長)」、から来ています。

・「アンリ」はイタリアに行って「エンリコ」となり、スペインに渡ると「エンリケ」、「エンリケ」の愛称が「キケ」、米大リーグドジャースの「キケ・ヘルナンデス」の「キケ」なんだそうです。

・「ウジェーヌ」はギリシャ由来で、「良い生まれ」「高貴な」といった意味があるそうです。

・英語の「ライザ」や「イライザ」はフランス語の「エリーズ」、ドイツ語の「リーゼ」、「エリーゼ」に相当して、「エリザベス」から来ているそうです。

・その「エリザベス」は、ヘブライ語の「エリシェバ(神は完全なり)」に由来する名前で、新約聖書での洗礼者「ヨハネ」の母の名前が「エリザベト」なのだとか。