一音九九楽

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いちおんくくらく★ひとつの音からたくさんの楽しいこと

ほんとうは「橋の下」なの?「アヴィニョンの橋の上で」の歌詞を読む

 

フランスの遊び歌

「アヴィニョンの橋の上で」はフランスの童謡ですが、日本でも日本語の歌詞を付けてよく歌われています。

日本語の歌詞には、いろいろなバージョンがありますが、大体こんな感じです。

小鳩くるみ「アビニョンの橋の上で」

youtu.be

1)

橋の上で 踊るよ 踊るよ

橋の上で 輪になって 踊る

紳士も来る

「やー みなさん お元気で」

奥さんも来る

「まー いいお天気ですこと」

 

2)

橋の上で 踊るよ 踊るよ

橋の上で 輪になって 踊る

坊さんも来る

「キンコンカンコン(教会の鐘の音)」

兵隊さんも来る

「おいっちにっ!」

 

3)

橋の上で 踊るよ 踊るよ

橋の上で 輪になって 踊る

酔っ払いも来る

「ういっ ひ〜 えへっ 楽しいねえ」

子供も来る

「こんにちは〜」

 

という具合で、紳士や奥さん、坊さんや兵隊さんなど、いろいろな人がやって来ては、その立場の人が言いそうな言葉や、その人に関係のありそうな音が聞こえるんですね。

いろいろな歌詞が付いている

この曲の日本語歌詞としては、「来る」が「通る」になったり、「橋の上で」が「アビニョンの橋で」になったり、人物が変わっていたり、かなり自由にいろいろな歌詞が付いているのですが、実は元々のフランス語でも、やはりいろいろな歌詞が付いているのです。

 

と言うのも、例えばこんな踊りと一緒に歌われる歌だからなんですね。

フランス語版「アビニョンの橋の上で」歌詞

youtu.be

Sur le pont d'Avignon
アヴィニョンの橋の上で

 

【Refrain】
【繰り返し部分】

Sur le pont d'Avignon,
アヴィニョンの橋の上で

L'on y danse, l'on y danse,
みんなそこで踊るよ、みんなそこで踊るよ

Sur le pont d'Avignon
アヴィニョンの橋の上で

L'on y danse,  tous en rond.
みんなそこで踊るよ、みんなでぐるぐる輪になってね

 

[ 1.] 
Les beaux messieurs font comme ça
素敵な紳士方はこんなふうにするんだ

Et puis encore comme ça.
そして次はまたこんなふうに

(Au refrain)
(繰り返しへ)

 

[ 2.] 
Les belles dames font comme ça
美しいご婦人方はこんなふうにするんだ

Et puis encore comme ça.
そして次はまたこんなふうに

(Au refrain)
(繰り返しへ)

 

[ 3.]
Les soldas font comme ça
兵隊さんたちはこんなふうにするんだ

Et puis encore comme ça.
そして次はまたこんなふうに

(Au refrain)
(繰り返しへ)

 

[ 4.]
Les musiciens font comme ça
音楽家たちはこんなふうにするんだ

Et puis encore comme ça.
そして次はまたこんなふうに

(Au refrain)
(繰り返しへ)

それぞれの登場人物の、職業だったり立場だったりの特徴を「こんなふうにするんだ」とジェスチャーするわけで「こんなふうに踊るんだ」ではないんですね。

「アヴィニョンの橋の上で」の遊び方

みんなが輪になって踊っていて、踊りのメンバーの中の誰か、あるいは外の誰かが、例えば日本語なら「〇〇が来〜る」と歌ったら、そこでいったんみんなで踊りを止めて、その歌われた「〇〇」の人の特徴を、みんなで、あるいは誰かが、モノマネをする、あるいは演じる、というのがルールみたいですね。

 

なので、歌詞で歌われるその「来る者」が何者かは決まっていなくて、歌う人がそこでいかに面白いチョイスをするか、そしてそのチョイスされた「もの」を、いかに面白くモノマネするかがカギになって来るんですね。

参加メンバーが何人であっても出来る、一種の「大喜利」ゲームみたいなものなので、これは子供たちのみならず、大人でも楽しめる歌あそびダンスだと思います。

「アヴィニョンの橋」の「上」と「下」

ところでこの歌詞の「橋の上で」の「上で」は”sur”(日本語で書くと「スューる」あるいは「シューる」となります。(「る」は「うがいの音」)

現実の上を行く「"surréalisme" シュールレアリズム(超現実主義)」の「シュール」ですね。

反対に「下」を表すフランス語は「"sous"(日本語では「スー」)」です。

「パリの空の下」は、"Sous Le Ciel de Paris"(スー・ル・シエル・ド・パり)

そして、「アヴィニョンの橋の上で」は、本当は、「アヴィニョンの橋の下で」だった、という説があるのです。

「アヴィニョンの橋」の、こっち側と向こう側

「アヴィニョンの橋」の本当の名前は「サン・ベネゼ橋」 (Pont St. Bénézet) 。

羊飼いのベネゼさんが天使の啓示を受けて作った橋だそうです。石作りで、今はアーチが4つしか残っていませんが、完成当時は22のアーチがあって、全長920メートルという長大な橋だったようです。歩いて15分ですね。

下の写真の2番目と3番目のアーチの間に「サン・ニコラ礼拝堂」があって、ここにベネぜさんも祀(まつ)られていたのです。現在はベネゼさんの遺骨は他の場所に移されています。

それ以前には、現在の「サン・ニコラ礼拝堂」が立っている下に「サン・ベネゼ礼拝堂」がありました。

つまり現在の橋は原型の橋の上に「かさ上げ」して建設されたものだという事になります。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/%22Sur_le_Pont_d%27Avignon_on_y_danse%22_is_the_famous_song%2C_but_now_we_see_only_many_tourist_just_standing_there_-_panoramio.jpg

 

向こう側は神聖ローマ帝国

実は「アヴィニョンの橋」がかかっている一方の側、上の写真に写っている側には現在フランス領であるアヴィニョンという街があったのですが(今もありますが)、13世紀ごろ、この街は神聖ローマ帝国の支配地域に入っていたことがあり、何とその時期ここに、現在はバチカンにあるローマ教皇庁が置かれていたのです。

つまりローマ法王がアヴィニョンにいたわけです。

と言っても、この頃のフランスは強く、この時のローマ法王はフランス人で、フランス国王の要請によって、ローマ教皇庁をアヴィニョンに移した、のだそうです。

この辺の事情になるともはや、学生時代に「世界史」「日本史」が大の苦手だった私にとっては複雑すぎて、ついて行けません

こちら側はフランス

そして、ローヌ川にかかる「アヴィニョンの橋」の対岸にあった街は「ヴィルヌーヴ=レザヴィニョン "Villeneuve-lès-Avignon"」。

ここは当時、神聖ローマ帝国の支配地ではない、フランス領の街だったのです。フランスの王様のお城があったわけです。

なので「アヴィニョンの橋」は、ローヌ川をはさんでフランスと神聖ローマ帝国を結ぶ、国境のローヌ川をまたいだ重要な架け橋だったのですね。

下の絵では右が「アヴィニョン」、ローヌ川をはさんで左が「ヴィルヌーヴ=レザヴィニョン」です。

ちなみに、このローヌ川のちょっと左下に行った下流には、あの「河は呼んでいる」に出て来る「デュランス川」が東側から(画面外ですが、画面向かって右側から)合流しています。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6d/Braun_Hogenberg_Avignon_1575_crop_bridge.jpg

当時の古い歌詞

この歌の古い歌詞を見ると、この橋をどんな人たちが渡っていたのかが分かります。

[ 1.] 
Les belles dames font comme ça
美しいご婦人方はこんなふうにするんだ
Et puis encore comme ça.
そして次はまたこんなふうに
(Au refrain)
(繰り返しへ)

 

[ 2.] 
Les messieurs font comme ça
紳士方はこんなふうにするんだ
Et puis encore comme ça.
そして次はまたこんなふうに
(Au refrain)
(繰り返しへ)

 

[ 3.] 
Les jardiniers font comm' ça
庭師さんたちもこんなふうにするんだ

Et puis encore comm' ça
そして次はまたこんなふうに
(Au refrain)
(繰り返しへ)

 

[...以下、順不同] 
Les couturiers font comm' ça
仕立て屋さんたち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Les vignerons font comm' ça
ワイン屋さんたち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Les blanchisseus's font comm' ça
町の洗濯屋さんたち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Les officiers font comme ça
お役人たち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Les bébés font comme ça
赤ちゃんたち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Les musiciens font comme ça
音楽家たち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Et les abbés font comme ça
修道院長さんたち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Et les gamins font comme ça
そして子供たち
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

 

[...]
Les laveuses font comme ça
川で洗濯のみなさん
Et puis encore comm' ça
(Au refrain)

通っていたのは社交界関係の人たち

古い歌詞を眺めていると、歌われている人たちに、ある共通点が浮かび上がって来ました。

「美しいご婦人方」「紳士方」

橋の上を「美しいご婦人方」や「紳士方」が通っていた、というのは、「宗教の元締め」と「王権」という、両国の権力の中枢に近い上流社会の貴族、紳士淑女の皆さんの往来が多かっただろうということから、容易に想像できますね。

 

「庭師さんたち」

上流社会では庭園の手入れも重要なステータスだったでしょう。

 

「仕立て屋さんたち」

上品でセンスの良い服装をすることも、社交界では必須ですね。

 

「ワイン屋さんたち」

社交界では豪華な会食は、重要な楽しみの一つであったでしょう。

 

「町の洗濯屋さんたち」

上品な服装は、常に清潔でなければなりません。

 

「お役人たち」

上流社会は、有能な官僚によって支えられます。また、警察関係の人たちも「お役人たち」に入るかも知れません。

 

「赤ちゃんたち」

出生の際の洗礼は、教会でさせていただきたいものですね。

 

「音楽家たち」

上流階級の舞踏会も、音楽家なしでは成り立ちません。

 

「修道院長さんたち」

やはりローマ法王には、ご挨拶しなければなりません。

 

「子供たち」

どんなに悪ガキでも、将来の紳士淑女です。

 

「川で洗濯のみなさん」

「洗濯する人」は、歌詞に2回も出て来るので、当時重要な仕事だったようですね。川で洗わなければならないほどの大物とは、「ペルシャじゅうたん」などでしょうか。

「橋の上」の世界と「橋の下」の世界

こうやって古い歌詞を見ると、アヴィニョンの橋は上流社会に関係する人たちが主に通っていたようですね。

ただし、橋自体の幅は、そういった人たちが徒歩で通るのが精一杯で、騎馬や馬車、荷車が通るほどの幅もなくて、みんなで輪になって踊るスペースもなかったようです。

となると、どこで誰が踊ったのか。

こちらの動物たちの動画に出て来る歌詞の中の ”cordonnier” は、「靴屋さん」です。

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実は、橋の下の岸辺や土手、河川敷、中洲あたりにはダンス会場など娯楽施設のある場所があったらしく、そんな上流社会関係の人たちが橋の上を通るのを見ながら、庶民の子供たちや大人たちが、彼らの仕草を真似しながら、「ファランドール」「サラバンド」などの踊りに興じていたのだ、という説があります。

なので、もともとの歌詞では ”sur”(上) ではなく"sous"(下)と歌っていた、という事になるんですね。

フランス革命後、フランスは上も下もない、平等な国になったので、「橋の下じゃなくて上で踊ってもいいじゃないか」と、実際に踊れるかどうかはさて置き、歌詞の上では「橋の上」にしてしまった、のではないかと思いましたが、時代が違うようですね。フランス革命は18世紀、「アヴィニョンの橋の上で」の歌が記録されたのは15世紀以前です。

もともと狭い

下でご紹介する動画で実際の橋の映像を見ると、「サン・ニコラ礼拝堂」が、なぜか橋の通り道に、あえて通行を邪魔するように、せり出しています。そのせいで、その前には人ひとりがようやく通れるくらいのスペースしかないんですね。

橋のたもとの陸側の石の門の出入り口も、もし鉄格子がなかったとしても狭くて低くて、馬車とか荷車が通れるとは思えません。

わざと狭くして、万が一の時に騎馬などで攻め込まれないようにしていたのか、元々の原型の橋の幅がこれだけしかなかったのか、色々想像はできますが、橋の上で踊ったのではないことだけは確かなようです。

橋のたもとには「番小屋」があって、通行をチェックしていたようなので。

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今回のお話

今回は、「アヴィニョンの橋の上で」は、もともとは「アヴィニョンの橋の下で」だった、というお話でした。

この歌が遠いところにまで広まって行くにつれて、歌だけを聞いた人たち、アヴィニョンの橋の事をあまり、あるいは全く知らない人たちは、本当は橋の上ではなく下で歌っていた、なんて事情は知る由もないので、「橋と言えば渡るものだから、渡る途中で踊ってるんだろうなあ、歌詞にある『橋の下』は間違いで、『橋の上』で踊っているに決まってるよね」と、「橋の上」で踊っていることにして歌ってしまったのでしょう。

聞き覚えで伝わって行ったとすれば、"sous"と”sur”は似ている音なので、単純に聞き間違って伝わって行った、という事も十分考えられると思います。

 

なお、歌詞の中で、

L'on y danse, l'on y danse,(ロニドンス、ロニドンス、)

となっているバージョンと、

On y danse, On y danse,(オニドンス、オニドンス、)

となっているバージョンがありますが、意味は同じです。

「みんなそこで踊るよ、みんなで踊ろうよ」

 

「On」(オン) とは「人」のことで、文字通り「人」の意味で使ったり、「私」や「私たち」という意味で使ったりもします。

定冠詞「Le」が付いたり付かなかったりします。

「文章の頭の『On』には『Le』は付かない」、という原則があるので、ここでの違いは、歌詞の中の、

Sur le pont d'Avignon, l'on y danse, l'on y danse,

という文章を、同じ1行の文章と見るのか、

Sur le pont d'Avignon,

On y danse, On y danse,

という、2行に分かれた別々の文章と見るのか、の違いですね。2行に分かれれば、『On』は文章の頭に来てしまいます。なので、『Le』は取れてしまう事になります。

 

まあ、聞いた感じは「l'on」(ロン)の方が「On」(オン)よりなめらかな感じで、子供たちにとっても歌いやすそうではあります。