一音九九楽

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いちおんくくらく★ひとつの音からたくさんの楽しいこと

なぜベースが「2人」で、ボーカルが「3人」?「All About That Bass」スコット・ブラッドリーとポストモダンジュークボックス版

 

ポストモダンジュークボックス版とメーガン・トレイナー版の聴き比べ 


All About That Bass - Postmodern Jukebox European Tour Version

 

歌詞の内容としては要するに、

 

「今の世の中、やせてるほうが良いみたいな風潮になってるわね〜、でも私は太っちょそのものなのよ〜〜〜.........何か?」

 

的な意味の歌ですね。ポジティブで愉快な歌です。

 

私はこちらの「ポストモダンジュークボックス」版の方を先に聞いて、これは面白いと楽しんでいたのですが、この演奏は、もとになったヒット曲があって、そのカバーなのですね。

元ネタはメーガン・トレイナー

もともとのヒット曲はこちら、メーガン・トレイナー版です。


Meghan Trainor - All About That Bass Official Music Video

こちらの映像も、「Bass」のイメージにふさわしい、ふくよかな女性(メーガン・トレイナー自身作詞作曲)が歌っていて、ミュージックビデオのストーリーも面白いものです。


映像の中のいくつかの謎

この2つの映像を見比べているうちに、ちょっと疑問が出てきました。

 

ポストモダンジュークボックス版の方ですが、やたら登場人物が多くて、画面上なかなか密な状態になっています。画面に全員が映りきらず、そもそもブラッドリー本人と、左に待機しているボーカルの女性の顔がちょうどマイクの陰に隠れるようになっています。

真ん中の奥にはドラムもいるのですが、全く見えませんね。

 

この、ジグソーパズルの出来上がり画面のような複雑な映像を見ているうちに、それこそパズル解き的な疑問が出てきたわけです。

 

  • なぜベースが2人?
  • なぜベースの人が最初に歌う?
  • ベースの一人はなぜ床に座る?
  • ちょっと歌詞が違う?
  • なぜボーカルが3人?アンドリュー・シスターズ?
  • コスチュームが古風?

 

調べて行くと、そこにはなかなか面白い意味があって、それは歌詞がヒントになっていることが分かりましたので、その秘密を解明して行きたいと思います。

 

コスチュームが古風?

 

これは歌詞関連ではありませんが、ポストモダンジュークボックスというバンド自体が古き良き時代のスタイルを取っているので、みなさん、チャールストンが似合いそうな服装や、コテコテのディナーショー向きコスチュームを着ていますが、その音楽に見合っていると思います。

それが現在ではかえって新鮮に映って、楽しい効果を出しています。

 

ボーカルのコスチュームなどは、もろにチャールストンが流行った時代のテイストですね。

なぜボーカルが3人?

歌を歌う場合の、声の高さによる分け方は、「バス」「バリトン」「テノール」「アルト」「ソプラノ」ですね。

しかし、これは実は男女混合の言い方で、男声に限ってみると、

「バス」「バリトン」「テノール」「カウンターテナー」「アルト」「トレブル」

となります。「トレブル」が「ソプラノ」に相当しますが、「ソプラノ」は女声なのですね。

 

歌の中で、「私はベースであってトレブルではない」、という部分があります。

「トレブル」は高音という意味ですが、実は「トリプル」という意味もあるのです。つまり「3」という意味ですね。普通の声の高さの「3倍」高い声、というわけです。

 

ここでブラッドリーによるひとつの遊びが出てきます。

 

もともとは、「私は低音であって、高音ではない」、と音楽用語にひっかける形で、「私はふとっちょで、やせちゃあいないのよ」と歌ってるわけです。

 

そこにブラッドリーは「トレブル」のもうひとつの意味「トリプル」=3倍、という言葉通りの意味をそのまま形に表して、「3人のボーカル」体制にしました。

その3人ともそれぞれに「私はトレブル(トリプル=3人)じゃないのよ」と歌わせているのです。

 

実際に3人で歌っているのに「3人じゃない」と歌う、という可笑しさがここで出てきますね。特に3人がアンドリュー・シスターズふうにきれいにハモるフレーズでその可笑しさがきわだちます。

 

なぜベースが2人?

 

もともと「Bass」という言葉は楽器や声の低い部分を表します。その場合の読み方は「ベイス」。「Bass」と書いて、「バス」と普通に読みそうですが、その場合は魚の「ブラックバス」の「バス」になってしまいます。

 

さらに、この映像の真ん中にあって主役を主張している「Bass」大きなベースの事を「コントラバス」と言ったり、「ダブルベース」と呼んだりしますね。

ダブルベース

ダブルベース

コントラ」というのは「対抗する」(カウンター)という意味ですが本来メインである「本旋律」に対して「対」になる、つまり普通の低音ベース音「バス」音の、もうひとつ下の「対旋律」を弾く、ということで、「コントラバス」と呼びます。

一方、音程が普通の低音の「2倍」、「ダブルで」低い、という意味の方を採用すると「ダブルベース」と呼ぶことになるわけです。

 

というわけで、さきほどのボーカルの人数、「トレブル」は「トリプル」3倍、という意味があるので「3人」の女性ボーカルにしたのと同じ発想で、「ダブルベース」は「ダブル」2倍なので演奏者を「2人」にした、というわけですね。


なぜベースの人が最初に歌う?

 

これは、メーガン・トレイナー版で、「Bass=ふとっちょ」の方が強調されているので、「Bass」本来の意味は音楽用語の「ベース」なんだよ、本来のベースとは、つまりはオレさまのことさ、とベース弾きの人が主張したかった、というアピールなんでしょうね。

 

確かに、ベース奏者の彼がこのフレーズを歌うと、まさに本来の意味で「私はベースそのものなのです」ということになりますから、実にしっくり来る設定だと思います。

 ベースの一人はなぜ床に座る?

 ベースのメイン奏者は冒頭で歌ったあと、2人目のベース奏者に演奏をまかせて奥に引っ込み、床に座り込んでしまいますが、「Base(ベイス)」には「土台」とか「底」という意味もあるので、そのへんも狙っているように見えます。

 

ちょっと歌詞が違う? 

utaten.com

 

メーガン・トレイナー版では、

 

「私はおしりがりっぱなのよ」って言ってやんなさいよ、やせっぽの〇〇たちにさ。あ〜ら失礼、ほんの冗談よ。

 

作詞:KADISH KEVIN/MEGHAN TRAINER 

 

という歌詞があります。

 

〇〇は、原文を見ていただくと分かりますが、ちょっとおだやかではない、あまり上品ではない表現です。これで放送していいの?と心配になりますが、アメリカの音楽業界はおおらかなのか、問題にはならないようですね。

 

All About That Bass

All About That Bass

  • provided courtesy of iTunes

 

で、この部分、ブラッドリーのポストモダンジュークボックス版では、次のようにちょっと変えて歌っています。ちょっとだけ上品になっています。

 

「私はおしりがりっぱなのよ」って、言ってやんなさいよ、やせっぽのレディーの皆さまにさ、あ〜ら失礼、ほんの冗談よ

 

 作詞:KADISH KEVIN/MEGHAN TRAINER 

 

こちらはこちらで、メーガン・トレイナー版のような直球ではありませんが、そのぶん、「あなたたちがレディーなの?」という意味が裏にある、遠回しの逆説変化球なので、かなりの「いやみ」であることには違いはありません。

All About That Bass

All About That Bass

  • Scott Bradlee's Postmodern Jukebox
  • ジャズ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

最後の「腰クイッ」の意味は?

 

曲の終わり、演奏の最後の音で、ボーカルが3人合わせて腰を片方にクイッとさせて終わるのですが、イマイチその意味が分かりませんでした。

 

和訳サイトを見ていたら、その謎が解けました。

そもそも「Bass」という言葉そのものに、その秘密が隠されていたのです。これは「りっぱなおしり」を表す隠語にもなっているのだそうです。「Bass」の「B」が大文字であることがヒントですね。「B」は「Big」ということです。何が「Big」なのかと言うと、大きな「B」に続くアルファベットの小文字3文字...

 

そういう解釈で、改めて聞き直してみようと思います。

 

そう言えば、ベースそのものの形が、もともとくびれがあって、見ようによっては艶めかしいのですが、ブラッドリー版で使われているダブルベースは、よく見ると普通の形とはちょっと変わっていて、ことさらにダブルベースの「おしり」にあたる部分がより目立つような作りになってますね。

 

今回のお話

今回は、Scott Bradlee & Postmodern Jukebox版のAll about that BassをMeghan Trainor版と比べてみたら、歌詞をヒントにした、楽しい遊びの精神が見えてきた、というお話でした。