私はこの曲も「スコットブラッドリーとポストモダンジュークボックス」版を原曲より先に聞きました。
この曲も、テイラー・スウィフトの原曲とは全く違う、ノリの良いスクエアなリズムがとても気持ちが良いです。
色々な意味を持つ「スタイル」という言葉
歌詞を読んでみると、もう先の見えたカップルが、未練がましく逢瀬を繰り返している、という「ありがち」なズルズル状態を歌った歌なのですね。
主人公である私は、彼と別れようと思うのだけれど、会うといまだに彼の魅力(スタイル)には参ってしまう。
彼の方は彼の方で、彼女は好みのタイプ(スタイル)なので別れがたい。
彼には他に付き合ってる人がいるので、けんかになってしまうのだけど、好きなのは君だけだ、と言われると、また元のサヤに戻ってしまう、それが私たちのいつもの(スタイル)。
もうこの(スタイル)から抜け出したいよ、私を家に帰してよ、つまり具体的に家に送ってくれ、という意味ではありますが、同時に、何もなかった「ホーム」の状態にリセットして戻してくれという意味も含んでいるわけですね。
歌詞を男女に分解した
スコットブラッドリーとポストモダンジュークボックス」版の優れているところは、そのいささか複雑な男女の感情の揺れを、テイラー・スウィフトという女性の立場だけからの歌だったところを、男女それぞれの立場からのかけ合いの歌に分解してしまうことによって、状況をハッキリさせた、そして、そのことによって男女それぞれの感情の動きも分かりやすくして、聞く人に感情移入しやすくさせた、という点ですね。
つまり、女性には女性の言い分があり、男性には男性の言い分がある、それぞれどちらもごもっともなわけです。それを、実際に女性歌手 Annie Goodchild (アニー・グッドチャイルド)が女性としての言い分の歌詞を歌い、男性歌手 Von Smith(フォン・スミス)が男性としての言い分の歌詞を歌うことによって、演劇的な、ミュージカルのような分かりやすいシチュエーションとして描き出すことが出来ているんですね。
ミュージカル「スタイル」
なので、実際、この「スコットブラッドリーとポストモダンジュークボックス」版では「1959年あたりのグリース(Greace)のスタイルで」演奏している、とクレジットしているんですね。「ツッパリ」ふうの革ジャンにサングラスが、いかにもそれらしい。
「グリース」はジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョンの映画、特に男女掛け合いの歌が有名ですが、もともとは舞台のミュージカルです。
この「スコットブラッドリーとポストモダンジュークボックス」版でも、男女ともにそれぞれの立場の思いの丈を歌い上げるのですが、最後の最後、フェイドアウトしながら背中同士でくっつき合うパフォーマンスに、おたがいにそっぽを向こうとしているのだけど心引き合っている、という状況がよく現れていて、秀逸な仕上がりになっていると思います。
おすすめは、 「PostmodernJukebox 」版
というわけで、私はいまだに「スコットブラッドリーとポストモダンジュークボックス」版をヘビーローテーションで聞いています。
本家のテイラー・スウィフト版はこちら。
今回のお話
今回は、スコットブラッドリーとポストモダンジュークボックス」版の「スタイル」は、男女の立場と状況がハッキリ分かるし、演奏スタイルもテンポよく、ミュージカルのように楽しめるスタイルになっている、というお話でした。
さて、私の「スタイル」は?