キツネは女性に化ける
キツネはなぜ女性に化けるのでしょう
たとえば「どんぎつね」
美輪明宏さんの「九尾の狐」どんぎつね
こ、、これは女性ではありませんが、尻尾を九つも持っているので、いわゆる「九尾の狐」。
百戦錬磨、一筋縄ではいかないキツネ界の大御所、ラスボス的なキツネですね。
昔からのイメージ
昔から、キツネが木の葉を一枚、頭にのっけて、クルリと一回転すると、あら不思議、人間の女性に化けている。
術が解けて来たり、他のことに気を取られてうっかりすると「尻尾を出す」ことになって、正体が分かってしまう。
など、それが慣用句にもなるくらいに、「キツネが女性に化ける」というのは、みんなが知っているお話、設定になっていますね。
人間の男性にも化ける
もっとも、例えば、歌舞伎「義経千本桜」に登場する白狐「源九郎狐(げんくろうぎつね)」は「浅野忠信」という名前の男性に化けたりしますが、一般的にはキツネは女性に化ける、というイメージが強いですね。
上の絵はwikiより、左が「狐忠信」真ん中が義経の奥さんの「静御前」、右が「源義経」です。
キツネが女性なら、タヌキのほうは「たぬきオヤジ」という言葉もあるくらいで、男性に化けるイメージがありますが、茶釜に化けたりもするので愛嬌がありますね。
なぜだろう、キツネはなぜ女性に化けるイメージなのだろう、と常々不思議に思っていましたが、「キツネダンス」について調べている時にキツネの声をいろいろ聞く機会があり、あ、これかあ、と、謎が解けた気がしました。
キツネの鳴き声にヒントが
キツネは「コンコン」と鳴くのが一般的な常識ですが、実際に聞いてみると、色々な声を出しています。
こちらは「コンコン」ですが、
これはどうですか?
こんな声もあります。
こんな声が、たとえば田んぼの稲わらが干してある陰から聞こえたらどう思います?
たぶんこうだったんじゃないか劇場
「おいおい、今のは何だ!女性の悲鳴か泣き声のようだったな」
「女の人が追いはぎとか鬼とかに襲われてるんじゃないのか?おまえ、武器はもってるのか?」
「冗談はよせよ、オレたちゃ百姓なんだから、武器ったってこの鎌くらいしかないぞ」
「しょうがねえなあ、まあないよりゃマシだ、よし、行ってみよう、油断するなよ」
と、恐る恐る行ってみると、
稲わらの陰からひょいと現れたのはキツネ
「おお!びっくりした〜」
「こんなところにキツネがいやがる、怪しいのは今キツネが出てきた角を曲がったところだ、行くぞ!」
「おう!」
「・・・ん?」
「誰もいない???」
「誰もいないはずはない、はっきり悲鳴を聞いたよな」
「ああ、しかし、いたのはさっきのキツネだけだった。キツネはあんな女性の悲鳴のような声は出しゃしない」
「ん?まさか、あのキツネ、人間の女性に化けていやがったのか?オレたちが来るってんで、あわててキツネに戻ったんじゃあるまいか」
「そうか、そうだよ、キツネの頭からハラリと木の葉が一枚落ちたのを見たぞ、木の葉一枚で女性に化けるんじゃないのか?」
「頭に葉っぱを乗っけてクルリと一回転で、あっという間に女性に早変わりってかあ?」
「そんな摩訶不思議なことができるとなると、あのキツネただモノではないな」
「妖術使いか、もののけか!」
「あんがい、神様のお使いかもしれねえなあ」
「神様ったって、田んぼの、かあ?」
「そうともよ、田んぼのネズミなんか獲ってくれるからなあ」
「あ、そりゃまあ、ありがてえよなあ」
「田んぼの神様と一緒にたてまつって礼を言っておくか」
というわけで、田んぼの神様「お稲荷さん」の狛犬はキツネになったのでした。
たぶん。
今回のお話
今回は、キツネはなぜ女性に化けるのか、を考えてみました。
その鳴き声が、聞きようによっては人間の女性の悲鳴のようにも聞こえる、ということから、キツネは女性の真似をする、女性のフリをする、女性に化ける、というお話、伝説、慣用表現ができ上がって行ったのではないか、という考察でした。
なお、ここまで書いたところで、外ではタイミングよく、雨が降っているのにもかかわらず、太陽の光が照っている、という、いわゆる「狐の嫁入り」という天気になりました。
こういう「関連性はあるものの、それぞれは別々の事柄や事象が、同時に起こる」不思議な現象のことを「シンクロニシティ(共時性、偶然の一致)」と言うらしいですが、どうやらキツネさんが、私がこの文章を書いているのを見ていたようです。
この記事を読まれたみなさんに、不思議なご利益(ごりやく)がありますように。
なぜ「天気雨」は「キツネの嫁入り」なのか
考えてみると、田んぼの稲穂にとっては、太陽の光も雨も、両方とも必要不可欠なものですね。
通常は、晴れている時は雨は降らないし、雨の時は太陽は隠れています。
それが、太陽も雨も同時に降りそそぐ、なんてことは、滅多にあることではありません。
これは田んぼにとっては願ってもないめでたいことだ。
これは田んぼの守り神のお使いのおキツネさまが、めでたい嫁入りなのでよっぽど嬉しいんだろう、いつも守っている田んぼに太陽も雨もいっぺんに大盤振る舞いしてくれているのじゃないか、と、またまた「こうだったんじゃないか劇場」的解釈になりそうです。